期待。どんな程度かはわからないが、とにかく心待ちにされること。待たれるのは相手にとって望ましい結果や出来である。とんでもないことを期待されることはまずない。
事の始まりにあたって期待は寄せられ、高められる。期待はこたえるもの、かなうものである一方、事が終わってみたら外れたり裏切られたりすることがある。何をどの程度に期待されているのかが摑めなければ、期待に見合うこと、期待に沿うことはままならない。期待というテーマは三部作になる。書名は『期待以下』『期待通り』『期待以上』。
『フェルメール展』を鑑賞してきた人が言った、「期待通りだった」と。期待通りとは期待以上でも期待以下でもないが、ちょうどいい感じなのだから褒めことばである。別の人は「期待外れだった」とつぶやいた。がっかり感が伝わってくる。但し、外れたのはクオリティではなく、期待の方向性だった可能性がある。
美術展でも仕事でも食事でもいい。まず誰もが「期待通り」を目標にする。プロフェッショナルなら「期待以上」の結果を出すのが当たり前とはよく言われるが、期待以上というのは、期待の範囲を通り越している。期待通りでないという意味では裏切りだ。その裏切りが評価されリスペクトされてこそ一流のプロに値する。
ずいぶん前になるが、前年度に実施した研修がかなり好評だった。翌年、さらにレベルアップして実施しようとしたところ、主催者がぽつんと言った、「前年の内容を変えなくて結構です。前年と同じ内容でお願いしたい」。期待以上にしても誰も価値がわからない、期待通りのレベルで十分というわけだ。
しっかりと御用聞きをしていれば期待通りはクリアできそうだ。しかし、相手の期待と自分の願望が一致しない、あるいは葛藤することさえある。この時、処世術としては願望を諦めて期待の顔を立てる。相手の期待にすり寄るばかりではつまらないが、やむをえない。期待通りというのは、相手次第ということだ。相手の期待が低ければ自分のレベルは上がらない。期待通りで満足していると一流の手前までしか辿り着けない。
御用聞きをしながら、なおも自分の願望や理想に近づくことはできる。裏目に出るかもしれないのは覚悟の上だ。期待以上という裏切りが期待以下の裏切りと同じであるはずはない。期待したのとは違う、裏切られた、しかし何という裏切りようだ……と相手が息をのむ。そして、リスペクトする。一応三部作なので『期待以上』で完結するが、いつも期待以上を期待する相手に対しては、次なる『期待何々』を書き下ろさねばならなくなる。