音声と文字の言語を習得する前に先験的な〈サイレント・ランゲージ〉、つまり、沈黙のことばがある。沈黙のことばの原点を母語とすれば、話しことばが第一外国語、書きことばが第二外国語という見立てができそうだ。
耳に入ることばをサイレント・ランゲージや事物と照合して意味づけし、話し始める。文字を覚えて意味を読むようになり、やがて意味を書くようになる。母語と第一外国語と第二外国語を同時に習得するのだから、言語的生活はもとより気楽にというわけにはいかない。
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何を言っているのかさっぱりわからない時、たいていその話者は単語や短文しか使っていない。単語や短文から意味を汲み上げるのは容易でない。カラスの「カァー、カァー」や犬の「ワンワン」とほとんど変わらない。
文が構文になり、構文と構文が相互に結びついてようやく意味が浮かび上がる。にもかかわらず、一語か二語話しては止まり、途中「その、あの、ええっと」を挟んでから次の語が発話される。もともと会話にはこんな側面があるのは否めないが、動詞のない文や単語の羅列では聞き手の負荷が大きすぎる。
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思うかぎりを尽くして、その相手にその場で言うべきこと、言いたいことを生の声で語る。生真面目な信を静かな知で、奇を衒わず、また迎合もせず、情を抑制気味に……。テンションの高いトークや熱弁など意識するには及ばない。こういう語りを、ぼくは〈アコースティック・トーク〉と呼んでいる。自分一人ではいかんともしがたい。このトークは題材と相手を選ぶ。