駅舎が駅ビルにリニューアルされ、街並みが一変した。どう変わったかと言えば、風情が失われたのである。かつて鉄道駅は、その背負う歴史や内包する語感とあいまって、街の景観になくてはならない存在だった。
小学生の頃に住んでいた街の最寄りの私鉄駅は高架ではなかった。改札口と同じ地上を電車が走るのは当たり前だった。その電車に乗って四つ目のターミナル駅に行くのは「ハレ」であり、デパートの大食堂で食事をするのは一大イベントだったのである。電車に乗って出掛けるとなると、たとえ目的の駅がわずか三つ、四つ向こうであっても、よそ行きの服を着せられたのを覚えている。
パリへの旅は、鉄道駅の懐かしい時代を彷彿させる。主要な鉄道駅には国際線が乗り入れているから、想像力を逞しくしてみればまるで映画のシーンに佇んでいるような錯覚にとらわれる。
駅名がユニークである。北駅や東駅をパリの北や東に位置する駅と思っていたが、二度目の旅で気づかされた。北へ向かう列車が出発するのが北駅、東へ向かう列車が出発するのが東駅である。
そして、あのパリ12区のリヨン駅〔写真〕は、そこがリヨンという地名ゆえにそう名付けられたのではなく、フランスの南東部に位置する国内第二の都市リヨン行きであるがゆえにリヨン駅なのである。そのリヨンにはリヨン駅と名のつく駅はない。東京に大阪駅はあるが、東京駅がないようなもの。
未練や郷愁にほだされて昔のものを保存していたらキリがない。そんなことは重々承知している。だが、やみくもに壊しては建て替えるという土建発想も考えものだ。前世紀の面影を今に残す鉄道駅には、現代の便利と引き換えるわけにはいかない風情がある。
その風情の中を発ち再び戻ってくる旅程には、コンビニエンスストアのような画一化した駅ビルを発着するのとは一味違った旅情が残る。そんな駅を都心から一つずつ消していった日本では、日常の中にふと感じるささやかなハレの時間も見つけにくくなった。