自宅の蔵書のほとんどをオフィスに運び込んでから2年が過ぎた。にもかかわらず、ほとんど本のない自宅の書斎で、時々がらんとした本棚に手を伸ばそうとすることがある。身についた習慣は条件反射的だ。
今月の初旬も自宅にはない一冊の本を探しかけた。金田一春彦著『ことばの歳時記』がそれ。かつて愛読していたこの本は、オフィスに移してから手にもせず捲りもせず。七月三日の日に、オフィスの書棚からさっと取り出した。どこに置いてあるかはわかっていたから。
前日の二日が「半夏生」で、翌日の四日が「雨男」。ことばの歳時記をヒントにして書き始めるには申し分のない見出しが立っている。ところが、三日のその日のことばは「お中元」だった。半夏生や夏男に比べると現実的である。やや物足りなかったが、お中元のことなどあまりよく知らないではないか。
昔、年寄りたちが「うらぼん」と言っていた。盂蘭盆と書く。中元はその行事だ。正月十五日を上元、十月十五日を下元として祝った。では、七月十五日あたりに佳節として中元を祝おうということになった。それが事の起こりらしい。
お中元と言えば贈り物。贈り物は歳時によって名を変える。正月には「お年玉」と呼び、年末には「お歳暮」という。病人を訪ねる時は手に「お見舞い」であり、別れる人には「餞別」を手渡す。どこかに行けば「お土産」を手にして帰ってくる。『ことばの歳時記』によれば、お土産を人にあげる時は「贈り物」と言い、自分がもらうお土産のことを「到来物」と言ったそうだ。初耳である。
オフィスでの打ち合わせを慎んでいるので、来客が少なく、したがって例年に比べて「到来物」を直接いただけない日々が続く。それでも、律儀な方々からのお中元が宅配でやって来る。この時世だけに、かたじけなさに涙こぼるる心境だが、受領印を押すたびに口元は緩む。そうそう、今日は珍しく直接いただいた。それは「到来桃」だった。