「漢字を書く」と言っても、PCのワープロソフトを使っている時は漢字を書いてはいない。キーボードでたとえば”koushou”とローマ字入力して、画面に現れる「交渉」をはじめとする、「こうしょう」と同音のおびただしい候補リストから自分が使いたい漢字を選んでいるにすぎない。
鉛筆やペンで紙に漢字を書く時に、「さあ、あなたの欲しい漢字はどれ?」と誰も聞いてくれないし、選択肢も与えてくれない。自分の〈脳内辞書〉で候補を検索しなければならない。そして必要な漢字を実際に正確に手書きしなければならない。翻って、ワープロソフトを使う時は漢字は書いていない。認識したり選択したりしているだけである。
「林檎」と書けなくてもいいのだ。“ringo”とキーを打ち込めば、「りんご」や「リンゴ」に混じって林檎が出てくる。漢字はそれだけなので、その文字をクリックすれば文中でそのまま使える。「きかい」の同音仲間には機械、機会、奇怪、貴会などが出てくるが、知っていて認識さえすればどれも正確に書けなくてもよいのである。
ぼくの企画研修の中に「コンセプトの創造」という一章がある。講義の冒頭で「たかとわしが書けますか?」と尋ねる。受講生のほとんどは20代~40代半ば。両方書ける人は1割にも満たない。鷹と鷲を書けなくても特に困ることはない。タカ、ワシと書けば済む。ちなみに、コンセプトは人が創るものという説明のために、「鷹も鷲もタカ目タカ科であり、生態的差異と言うよりもコンセプトの差異によって区別されている」という話をする。
鷹と鷲が書けない大人は大勢いるが、“taka”と入力すれば「高」と「鷹」しか出てこないから、鷹を選べる。”wasi”と打てば「和紙」と「鷲」くらいしか出てこないから、これも選ぶのは簡単である。認識はできるが、運用できるかどうかはわからない。しかし、運用ができれば――つまり、書ければ――読むことはできるはずだ。
ほとんどの文書作成がワープロでおこなわれる現在、漢字が読めたり書けたりするのは「検定的意義」か「雑学的価値」しか持たない。まあ、難読字を知っていれば周囲に少しは自慢もできるだろう。言語学では以前から「認識語彙:運用語彙=3:1」と言われてきたが、差はもっと広がっていそうだ。これから「手書き」はどうなっていくのだろうか?