10日間の習慣見直し実験

去る85日にブログを書いて以来、今日までの10日間PCに触れなかった。盆休みを挟むこともあって急ぎの仕事がなく、PC作業が不要不急だったからだ。そうだ、ついでにスマホとも距離を置いてみよう、と思った。1990年代前半まで当たり前だった日常のスタイルが復活した。

現代人はスマホに触れないと手持ちぶさたになる。それが証拠にメトロの車内では乗客の8割がスマホを操っている。「要」にして「急」な様子も雰囲気もうかがえない。暇を持て余すのは、何かすべきことが決まっていないからである。暇とは「しなければならないことがない状態」にほかならない。

3日に一度iPadでメールだけチェックしたが、すべて不要不急。このように脱デジタルすると、必然SNS上の親しい人たちの投稿もチェックしない。ほとんどの情報は不要不急の類ということになるが、不要不急が悪いわけではない。触れなくても困らないというだけのことだ。ともあれ、メールもSNSも一切受発信せずに今日に至り、いま11日ぶりにブログを書いている。


数年前に比べてSNS上では発信機会に比べて受信機会が減っているような気がする。つまり、投稿はするが他人のはあまり読まない。マメにコメントしていたが、今は義理の「いいね」で済ます向きが増えている。外部と情報が隔絶されても困ることがほとんどなく、要にして急なことはテレビで間に合う。テレビはスマホの小さな画面よりはよほど見やすい。

暇にあかしてスマホをいじるよりも、かけがえのない時間の過ごし方があるのではないか。見ようと思わないのについ見てしまうスマホの電源をしばしオフにして、読もうと思いながら読めていない本を読むことにした。何冊も読んでいると、いま考えていることと呼応する一節に出合うものである。たとえば次の一冊。

(……)彼はたまたま自分の内部に溜まった一連の決まり文句、偏見、観念の切れっ端、あるいは意味のない語彙を後生大事に神棚に祀ったあと、天真爛漫としか説明しようのない大胆さをもってそれらを相手かまわず押しつけている。(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)

90年も前に書かれた文章である。現在のSNS上の現象を言い当てているかのよう。同一の投稿者がよく似た投稿を繰り返す。そのことの好き嫌いや是非は人それぞれだが、スマホを触ると目に入ってくる。日記もそうだが、毎日書いているとよく似たことばかり書くようになる。マンネリズムは必ずしも忌むべきものではないが、マンネリズムというものは、自分よりも他人の方が先に感知する。

SNS同様、このブログもそうだが、この先も生き残らせて日々の楽しみや慰みとするためには、あの手この手を繰り出すしかなさそうだ。ちょっとした習慣見直し実験をしたわけだが、いろいろと気づかされた10日間だった。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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