抜き書き録〈2022/10号〉

「ことば遊び」と言うのは簡単だが、大いに遊んで楽しむには豊富な語彙と教養がいる。織田正吉著『日本のユーモア1 詩歌篇』にはハイブローな笑いとユーモアがぎっしり詰まっている。頭を使わされるので読後にどっと疲れが出る。同じ句を繰り返し使って詠う「畳句」などは単純でわかりやすい。偶然にして「じょうく」と読むのもおもしろい。

月々に月見る月はおほけれど月見る月はこの月の月 
(『夏山雑談なつやまぞうだん』より)

まもなく十三夜だから月を愛でながら呪文のように唱えてみるのはどうだろうか。


散る花は音なしの滝と言ひつべし   昌意しょうい
「花」を「滝」に見立てたものである、と説明するのも野暮だろう。

(尼ヶ崎彬『日本のレトリック』)

「見立てる」を辞書で引くと、最初に「いい悪いの判断をすること」みたいな語釈が書かれている。それなら、わざわざ見立てるなどと言わずに、判断や評価でいいのではないか。続く語釈は「何かを別の何かであるかのように扱うこと」。こちらのほうが見立て本来の使い方に近いと思われる。見立ては類比アナロジーに近いレトリックである。花と滝に類比関係を見出すのは見立てである。著者は次のように続ける。

「見立て」とは、常識的な文法や連想関係からは結びつかぬものを、類似の発見によって(ないしは類似の設定によって)結びつけ、それによって主題となっているものに新たな《物の見方》を適用し、新しい意味を(または忘れられていた意味を)読者に認識させるものである(……)


高橋輝次編『書斎の宇宙』には「文学者の愛した机と文具たち」という副題が付いている。収録されている石川欣一の「原稿用紙その他」からの一節。

原稿用紙に凝る人は随分多い。自分で意匠して刷らせている人が沢山あるが、僕の知っている豪華版は仏文学の鈴木信太郎君だ。何とも筆舌を以ては表現出来ぬほど立派なもので、我々の雑文を書くのには勿体ないが、コツコツと、マラルメなどの訳をうめて行くには、まさにふさわしい原稿用紙だろう。

プロの著述業ではないが、趣味でオリジナルの原稿用紙を印刷してもらっていた知人がいた。ぼくは大学ノートを使っていた。二十代前半の頃、書くのが好きという理由だけで何度か文芸誌に応募したことがある。文房具店でよく見かける原稿用紙では見映えが悪いと考え、紀伊國屋書店で売られていたちょっと高級な原稿用紙(四百字詰め用紙100枚で1冊)5冊ほど買った。あれから40数余年、まだ2冊が残っている。今も手元に残る原稿用紙を眺めていると、勘違いばかりしていた時代を思い出す。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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