一昨日の夕方近く、我慢の限界に達したかのように豪雨が突然襲ってきた。まるで潜んでいたゲリラがふいに現れたようだった。ゲリラ豪雨とは言い得て妙だ。漢字の「雨」の成り立ちは雲から落ちる粒状の水だが、豪雨にはこんな可愛さは微塵もない。
月や季節の変わり目に何冊かの歳時記を取り出して、バーチャルに季節感を再現する。「雨(あま/あめ)ナントカ」という熟語は結構多い。
雨脚、雨蛙、雨傘、雨雲、雨乞い、雨空、雨垂れ、雨粒、雨戸、雨宿り、雨上がり、雨男、雨風、雨露、雨模様……。
取り出した本の目次と索引から「雨(あま/あめ)ナントカ」という文字を探す。「ナントカ雨」は多いが、「雨ナントカ」ということばの歳時記は意外にも少ない。調べ方の問題があったかもしれない。一昨日の雨には情趣も何もなかったので、ひとひねりして「雨男」と「雨乞い」にねらいをつけてもう少し探してみた。
雨男
グループが集まったり出掛けたりする時に雨が降り出す。そのグループの中に雨を降らせる男がいる。それが雨男だ(雨女でもいい)。男が十人集まって雨が降れば、みんなが雨男かもしれないのに、だいたい一人か二人の男が「ぼく、雨男なんです」といち早く名乗りを上げる。「うぬぼれてはいけない。きみごときが神のように空模様をアレンジできるはずがない」と何度か言ってやったことがある。
明治の文豪、尾崎紅葉は雨男として知られていた。歌人の佐々木信綱も雨男だった。
「ところがいつかこの二人がいっしょに出かけたところ、雨が降らないどころか、カンカン照り。雨性と雨性とがぶつかって晴天となったもので、両陰相合して陽となるの原理によるものだと評判だったそうな。」(金田一春彦『ことばの歳時記』より)
この一例しか見つからなかった。そうか、雨男は年中どこでもいるから、歳時記の対象にふさわしくないのだろう。
雨乞い
引っ張り出してきた歳時記のどれにも見当たらなかった。以前何かの本で見つけて、本ブログでも紹介したエピソードを思い出した。
雨が長らく降らずに困ると、アフリカのある部族は雨乞いをする。酋長の指示に従って部族の男たちは雨よ降れとばかりに踊り始める。そして、雨乞いダンスをすれば百発百中でやがて雨が降るのである。不思議でも何でもない。雨が降るまで踊り続ければいいのだから。
現代人は空模様から雨を予知してはいない。気象予報士が「午後から雨」と言うから、雨が降ると思っている。「降水確率は10パーセントでしょう」と言うから、傘を持たずに出掛けている。予報しない時代のほうが、たぶん雨には雰囲気があった。それが証拠に日本人はいろんな表現で雨を命名したのだ。
調べものの最後に『歳時記百話 季を生きる』(高橋睦郎著)の中の「夕立」が目に止まった。一昨日の雨は激しかったが、夕立の一種とも言える。いくつか拾ってみた。
ゆふ立ちやよみがへりたる斃れ馬 几菫
夕立が洗つていつた茄子をもぐ 山頭火
さつきから夕立の端にゐるらしき 晴子
最後の句は一昨日の雨に通じる。但し、「さつきから」ではなく「とつぜんの」、「夕立」は「豪雨」、ゐるところは「端」ではなく「ど真ん中」。豪雨は人に「我こそが今そのど真ん中にゐる」と恐怖させる。