最初に「画竜点睛」に出合ったのは十代の半ばだったと記憶している。画竜を当然のように「がりゅう」と読んだが、後日それは間違いで、正しくは「がりょう」だと知った。しかし、後年、ある辞書に「がりゅうとも読む」と書いてあった。「がりょうてんせい」に慣れていたので、変えずに今に到る。
早合点がもう一つある。点睛の睛を、天気の晴だと勝手に思い込んだ。「点に晴」でどんな意味になるのか調べもせずに。「絵に描いた竜を明るく照らす」というような意味に解釈したと思う。これも辞書にあたる機会があり、睛が「ひとみ」のことで、点睛とは「ひとみを描き入れる」の意であることを知る。
画竜点睛は「竜を画いて睛を点ず」と読み下す。竜の絵を描いたら最後に竜の目を入れるとは、物事を完成する最後の段階で一番肝心な部分を仕上げることを教えている。四頭の竜の絵を描いた名人が、ひとみを描き入れると竜が飛び立つからと言って瞳を描かなかった。人々は「そんなバカな! ウソだろ!」と言って名人に迫り、無理やり瞳を描かせた。すると、ひとみを入れた二頭の竜がたちまち天に昇った……。六朝時代の故事に由来する。
この四字熟語、ほとんどの場合「画竜点睛を欠く」という用い方をして、最後の仕上げが不十分だったり要が欠けたりすると出来映えが悪くなるというメッセージとして表現される。画竜点睛という物語にすでに「全体ができた後に最後の仕上げを忘れるな」という教訓が込められている。
だいぶ前の話だが、ぼくの講演の後に、司会者が見事に講演内容をまとめてくれたことがある。今日の話からよく学ぼうと上手に聴衆を鼓舞し、ぼくへの謝辞も丁寧に述べていただいた。最後に「本日多忙な折にお越しいただいた〇〇先生にもう一度拍手をお願いします」。鳴りやまぬ拍手。〇〇には「岡野」が入らなければいけないが、別の名前だった。ひとみが入らなかったのでぼくは天に昇れず、後味悪く床を這うように会場を後にした。