議論についての問答

議論に絶対に負けない法

『議論に絶対負けない法』という本がある。「絶対負けない」からと言って「絶対勝つ」わけではない。「引き分け」は負けないことであるから、連戦互角であってもかまわない。ここで話題にしたいのは「絶対」というものが、数学世界ならともかく、議論の世界にありうるかという点だ。「議論が上手になる方法」なら絶対という約束ではない。しかし、「絶対負けない」と言い切ってしまっては一つの例外も許されない。この種の本は議論に勝つ――あるいは五分に持ち込む――テクニックを指南しているが、はたして有効なのだろうか。


「こういう類の本って、ある程度役に立つのですか?」

「ちょっとずるいけれど、本によりけりと言うしかないね。でも、ディベートを何十年も指導してきたぼくの経験からすると、こと議論に関しては有効と言えるかもしれない気がする。なぜって、議論の巧拙は技術に関わることが多いからね。それよりも何よりも、どんな議論をするかによると思うんだ」

「へぇ。Aというテーマの議論には役立ち、Bというテーマの議論だとあまり役立たない、というようなことですか?」

「いやいや、議論のテーマのことじゃなくて、場のことさ。議論には大きく二種類の場があるんだ。当事者どうして決着をつける交渉という場と、第三者が判定を下す裁きの場。交渉には勝ち負けがつきものだけれど、同時に〈WIN-WIN〉や〈LOSE-LOSE〉などというのもある。交渉では利害をぶつけ合いながら、理想の着地点を目指すわけ。どちらも自分の言い分がある程度叶って満足することもあるし、どちらも不満足だけど手を打つという場合もある。交渉が成立してもいろんな結末があるんだね。もっとも決裂のほうが常ではあるけれど……。いずれにせよ、当事者どうしでは勝った、負けた、引き分けたという雰囲気は分かるものなんだ。裁判やアカデミックディベートのように第三者が議論を裁く場合には、判定結果と当事者の思惑が異なることがよくある。自分で勝ちを確信しても、あんたの負け! と言われるからね」

「では、当事者どうしで決着する交渉において、この『議論に絶対負けない法』などという本に期待してもいいんですね?」

「さっきも言ったように、知らないよりも知っているほうがいいという点で、そして、あくまでも議論を技術としてとらえるなら、ある程度有効だと思うね。但し、その当事者二人が仮にこの本をよく読んで交渉に臨むとしよう。著者は『絶対負けない』と言っているのだから、勝ち負けがあってはいけないはず。互角でなければならない。しかし、そんなことは稀で、ふつうは一方が勝ち、他方が負ける。なぜ勝ち負けが生じるかと言えば、こんなことは当たり前のことだけど、二人の読者が持ち合わせている知識や経験、場数が差になるわけさ」

「ありえない想定だと叱られそうですが、この本で習得した知識も同じ、他の知識や経験、場数もすべて同じと考えたら、どうなるんでしょう?」

「そうすると、声の大きい方やコワモテや余裕のある方が勝つかもしれない……」

「いえいえ、もう何もかもすべてが同じ条件を備えた二人が、同じ理解度でこの本を読み、交渉のテーブルに就けば……と仮定すれば?」

「となると、その二人は完璧に同一人物ということになるね。つまり、きみが仮定しているのは、自分と自分が議論したらどうなるかってことだ。きみがXYという二者択一の岐路に立つ時のことを考えてみたらいい。XYは同時に叶わない。そう、引き分けはない。Xを選べばYを捨てる、Yを選べばXを捨てる。一人議論の挙句、X支持のきみかY支持のきみのどちらかの意見が通り、他方が却下される。きみは勝利し、同時に敗北する。XYを選んだ瞬間、きみは議論に関して自ら判定を下したのだよ。そして、ここがたいせつなのだけれど、その判定をするためにはもはやきみは一人二役の当事者であり続けることはできない。すでに冷静な第三者になっていなくてはならないんだ」

「ちょっと頭が混乱してきました……」

「話を出発点に戻して、以上の話を整理してみよう。必勝テクニック系の議論の本は、技術的には有効である。しかし、勝敗などとは無関係ということだよ。そもそも議論というのは勝ち負けに意味があるのではない。議論をするという時点で、よい議論をすることが重要であり、なぜよい議論が重要なのかと言えば、より精度の高い意思決定をするためなんだ。議論の技術というのは自分のレベルを上げるためにある。相手がこうだからああだからなどというのは副次的なものさ。もっと言えば、人は言語によってものを考える、ものを考えるときに沈思黙考するよりは、声に出して議論するほうがうんと本質が鮮明になる。ぼくたちは議論を勝ち負けの道具のように思い、そして、この種の本に振り回されるけれど、言語の精度を高め、本質理解をするために議論の場というのは欠くべからざるもの、というわけなんだよ」

「議論は交わすものであって、勝つためのものではないということか……」

「そう、よりよく議論を交わすこと。それでもなお、結果は勝ったり負けたりだから。勝つための議論を志すよりも、よりよい議論を志すほうがうんと度量の大きい人物になれるとぼくは思うね」

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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