時代のフレームと想像力

かつてポンペイの遺跡に佇んだとき、歴史の不思議に感懐を抱いた。13世紀から16世紀に生きたルネサンス人たちは、この遺跡のことを知らなかった。ポンペイがヴェスヴィオ火山の噴火によって火山灰に埋もれ「史実から消えた」のが紀元前79年のこと。そして、この遺跡が発見されたのが1599年、すでにルネサンスは余燼期に入っていた。しかも発掘が始まるのは150年後の18世紀半ばだ。さらには、遺跡の全容が解き明かされたのは20世紀に入ってからである。

ルネサンス人の過去になかった出来事が、現代のぼくたちの過去に刻まれることになった。まったく当たり前のことなのだが、ある時代に生きて別の時代に生きていないことを、「そんなもの運命だ」と片付けるだけでは想像力不足かもしれない。

知識ジャンルの広さと情報量に関するかぎり、平均的現代人は古代から中世のどんな偉人たちをもはるかに凌いでいる。彼らが一生に出合った情報量を、おそらくぼくたちは数日のうちに浴びている。ただ、思考力や洞察力は必ずしも情報量に比例しない。先人たちを圧倒する知の巨人が次から次へと出現しないところを見ると、どうやら現代人は日々接している情報を上手に吸収して知として蓄えていない様子である。


フランシス・ベーコンだったと思うが、古代ギリシア人がどんなに凄かったとしても地中海の小さな世界にいただけで、アジアや新大陸のことも知らない、世界三大発明の火薬、活版印刷、羅針盤を使ったこともない――というような批判をした。真意が「昔の一握りの知恵に縛られるな」だったのだが、「それを言っちゃおしまいよ」とついこぼしたくなってしまう。この論で言えば、いつの時代も過去人は現代人よりも料簡が狭いことになる。

先の先から見れば、過去のすべては、時代ごとのフレームに拘束された知識と情報の歴史に過ぎない。ところが、まったくそうではない。現代人が手も足も出ない想像力が何百年も何千年も前に発揮されたのである。たしかに当時の時代のフレーム内での想像だっただろう。科学万能の現代から見れば、稚拙な知識に基づく知恵だっただろう。だが、現代人も今の時代のフレームから逃れるわけにはいかない。つまり、彼らの生きた時代のフレームでものを見たり発想したりすることはできない。

情報都市に暮らして膨大な情報に接している日々。想像力は歴史上一等の輝きを見せているのか。過去人よりもたくましい創意をたずさえてよく考えているのだろうか。ぼくにはまったくそうは思えない。それどころか、情報に強く依存している分、自家製想像力は脆弱になってしまっている。情報活用スキルよりも情報に依存しないスキルが重要なのであり、「調べる癖」に負けない「想像する癖」を身につけるべきなのだ。古代ギリシア人よりもぼくたちのほうが世界の地理に詳しく知識も豊富だろうが、これはぼくたちのほうが〈世界〉をよく知っていることを意味するものではない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「時代のフレームと想像力」への2件のフィードバック

  1. ブログが5日も書き換えられないと、どうなさったのか?と心配してしまいます。いつもいつも楽しみに読んでいます。今日は特に感動しました。 仕事をしていると、想像力や空想は笑い飛ばされてしまいがちです。完璧な実務や合理的なビジネスライクが仕事人の大切なスキルだと思います。でも、想像して相手の気持ちを思い遣る、事が少なくなった日本人がこの殺伐とした現代を作っているとしたら・・。 古代に想いを馳せ、未来に希望を見いだして若い人に夢を伝えていきたいと思います。それにしてもディベートやスキルアップ講座で合理的な考え方の最先端をいく岡野先生がこんなにロマンチストだったのが、今日一番のグッド&ニューでした。

  2. お久しぶりです。ぼく自身はリアリストというよりもロマンチスだトと思っていますし、肩肘張ったロゴス信奉主義者でもありませんよ。ディベートにしたって、レベルが高くなると言論技術や論理だけでは通用しなくなります。閑話休題。共感していただきありがとうございます。またご意見聞かせてください。

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