「寒の趣」などと言えてしまうのは、純正の寒をほとんど知らないからだろう。冬枯れや雪景色に趣はあっても、身に応える寒さに風情や味わいはないのかもしれない。大阪に生まれ、ほとんど大阪で暮らしてきたとはどういうことか。それは土着性のお笑い風土に染められるというだけにとどまらない。雪や寒さと縁が薄いということをも意味する。京都や奈良で底冷えし雪が積もる日、朝の天気予報に今日は寒いと脅されても、大阪の寒さなどたかが知れているのである。
北海道は陸別の山間で、夏なのに震えあがるような体験をしたことがある。別荘の持ち主の知人は冬場にそこでクロスカントリーを楽しむと言っていた。しかし、招かれたのは六月。夏スーツ姿で大阪を出た。薪を炊いて焼肉をご馳走になった室内でもジャンパーを借りていた。午前五時頃に目が覚め、トイレに立った。トイレは屋外である。小用を足してしばらく天空を仰いでいたら冷凍人間になりかけた。寒さに襲われて「寒い!」と呻いている間はたいした寒さではない。寒い時、人はただ神妙になって黙る。
奈良に住んでいた二十代の頃には真冬のこれぞ寒という空気を何度か体験した。風邪を引いて出社し深夜になって坂道を歩いて帰った日。冷え切っているわ、悪寒は走るわで自宅に辿り着いた時には震えが止まらなかった。大晦日の薬師寺も底冷えしていた。空気が澄み、除夜の鐘を聞くという舞台装置が整えば、温度計の目盛を下回る寒さが募るものである。雪国の住民からすれば、何を大袈裟なという程度だろうが……。
生涯一番のしばれる体験は十数年前のウィーンである。三月初旬というのに稀に見るほどの雪が降った。市街の街歩きなのにいったいどれほどの厚着をしたことか。五枚? 六枚? 下着の上にパジャマも重ねたのを覚えている。持参した着替えを総動員したことは間違いない。雪は降り止んで解け始め、街はすっかり青空に包まれていた。にもかかわらず、澄み切った冷気は重ね着の武装をいとも簡単に通過した。まるで素っ裸のまま街なかに晒された寒中罰ゲームのようだった。
冬の古語表現に「冱つる」というのがある。寒風にさらされて凝り固まるという意味だ。実際に凍るモノに使われるだけでなく、凍らないものを比喩することもある。もう一つ、「冴ゆる」がある。鮮やかに澄み切りしんしんと冷え込むさま。いずれの語も「冷える」では物足りない、冬ならではの凛とした風雅な趣を際立たせる。それぞれの語に思いつくままの概念を合わせてみよう。
月冱つる、星冱つる、風冱つる、霜冱つる、波冱つる、煙冱つる、音冱つる
空冴ゆる、花冴ゆる、雲冴ゆる、色冴ゆる、街冴ゆる、路冴ゆる、樹冴ゆる
こんなふうにことばを紡げるのは、肉体に堪える寒冷地に身を置いていないからに違いない。ぼくにとって寒は精神性の色合いが強い。どの風土に生まれ暮らすか……そこにはことばでは伝えがたい自然の五感への刷り込みがある。ともあれ、最低気温が零下になるのが年に六日しかない街にあって寒の趣は稀少である。