速成という方法について

読書をしたり考えたり、あるいは人と交わって対話をしたり、二十歳前にディベートと出合って勉強したりはしてきた。学校以外の学び、すなわち独学や実践知に目覚めてから、かれこれ40年になる。決して学び方・アタマの使い方は下手ではないと自覚しているが、考えることと話すことにおいて、十分幸せではあるものの、有頂天の達成感に浸ったことはほとんどない。もちろん、絶対能力がぼくに欠けているという現実がそこにはあるかもしれない。そのことを差し置いても、売れ筋の本のタイトルを見るたびにごく良識的な疑問が湧いてくる。

たとえば『考える力と話す力がおもしろいほど身につく方法』などの類がそれだ。「そんなものあってたまるか」という反骨心が湧き上がって強く懐疑してしまう。もしそのような速成方法が実際に存在するならば、ぼくがコツコツとやってきた方法とはいったい何だったのかと悔やむしかない。だが、どんなに譲歩しても、思考と言語という、人間の根幹を成すような資質が一週間やそこらでものになるとはにわかに信じがたいのだ(少なくとも、ぼくの履歴の範囲ではそんな方法には一度もお目にかかったことはない)。

能力の問題はさておき、この種の本は、この本を手にするまでに一度も意識的に考える力と話す力を鍛えようとしなかった読者を対象にしているのだろうか。そもそも成人になって初めて考える力と話す力の重要性に気づいたような人は、思考と言語の自然主義の流れに漫然と棹を差してきたはずだ。つまり、考えることと話すことをあまり意識せずに、道なりにやり過ごしてきたと思われる。そのような無自覚で努力を怠ってきた彼らに「おもしろいほど身につく方法」が確約されるのである。


勿体をつけた言い回しをやめよう。そんなものがあるはずはないのである。考える力と話す力以外なら、おもしろいほどではなくとも、少々なら効果的で速い方法があるかもしれない。しかし、こと思考と言語の資質を一夜で豹変させるような特効薬など見たことも聞いたことも、ましてや飲んだことなどない。自分なりにある程度考える力と話す力を身につけてきた読者なら、おもしろいほど身につくことがありえないことを承知しているはずだから、その種の本を手にして即効ハウツーを期待するはずもないだろう。

「その種の本」に対していささか批判的すぎたようだ。せっかくの批判を引っ込めるようで恐縮だが、「その種の本」は売らんかなの表看板に反して、実際のところはまずまずのコンテンツを並べて役に立ちそうなノウハウを書いてくれているのである。おもしろいほど身につくかどうかはともかく、ぼくが逆立ちしても真似できないほど、おもしろく書いてあるのだ。さらに、タイトルによく目を凝らせば、「おもしろいほど」であって、「ただちに」とは言っていない。速成方法を説いた本だと勝手に早とちりしているのは、実は読者のほうなのだ。

著者は本が役立つと信じているだろうし、一人でも多くの人に読んで欲しいと願っているだろう。一冊でも多く売れればうれしいに決まっている。この点には大いに共感する。したがって、本のタイトルやコンテンツがどんなに巧妙に仕掛けられていようとも、著者を責めるべきではないだろう。やはり読者の良識が結局は問われることになる。思考力と言語力を高める方法は存在するが、速成の方法はない。熟成には歳月を要することを承知しておかないと、書店のハウツーコーナーで心が揺れ続ける。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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