策がないと嘆く人々

「アイデアのかけらも出てこない」と嘆く人がいる。嘆くことなかれ。凡庸なぼくたちにそう易々とアイデアは訪れてくれない。いや、アイデアというものは、神仏がどこかから突然降臨するように「やって来る」ものではない。特に、怠け者の空っぽの頭とはまったく無縁だろう。

アイデアは、自分の脳から絞り出すしかない。ある情報が触媒となって既知の何かを刺激し鼓舞してひらめく。あるいは、その情報が既知の何かと結ばれて異種なる価値を生み出す。アイデアはこのようにして生まれるのだが、アイデアの萌芽に気づかなければそれっきりである。実は、アイデアは質さえ問わないのなら、いくらでも浮かんでいるはずなのだ。しかし、呑気に構えるぼくたちはアイデアの大半を見過ごしてしまっている。

「万策尽きた」と生意気なことを言う人もいる。「万策など考え試せるはずがないではないか」と万策ということばに屁理屈を唱えるつもりはない。万策が誇張表現であることくらいはわかっている。人間の考えうるありとあらゆることなどたかが知れているのだ。たいていは、二案や三案考えておしまい。いや、数が多いのがいいと言っているのではない。ぼくが指摘したいのは、脳が悲鳴を上げるほどアイデアを出そうとしたり策を練ろうとしたりしていないという点である。


ここ数年、テーマとソリューションの関係について考え続け、一つの確信を得るようになった。できる人間はテーマが少なくてソリューションが豊富、他方、できない人間ほどテーマを山積させてソリューションが絶対的に不足してしまう。正確に言うと、後者は仕事ができないことを穴埋めするためにどんどん課題を見つけて抱え込むのである。どこか官僚的構造に似通っているように思わないだろうか。とりわけ、掲げる理念に見合った政策が実施できていない。

いつの時代も、マクロ的に社会を展望すれば「テーマ>ソリューション」なのである。問題の数は解決の数よりもつねに多い。クイズは千問用意されるが、千問すべてが正答されることはない。しかし、特定の一問だけに絞ってみれば、そこには複数解答の可能性がある。企画の初心者は、とりあえず当面の一つのテーマについて、できるかぎり多くの策を自力でひねり出す習慣を身につけるべきだろう。二兎を追う者の策は限定され、結果的に一兎をも得ない。しかし、一兎のみを追おうとすればいくつかの方法が見えてくるものである。

アイデアは鰻のようだ。尻尾を掴めたと思ってもするりと逃げる。アイデアは泡沫うたかたのようだ。方丈記をもじれば「アタマに浮かぶアイデアはかつ消えかつ結びて」なのである。油断していると、すぐに消えてしまう。では、どうすればいいか。「ことばのピン」で仮止めするしかない。アイデアはイメージとことばの両方で押さえてはじめて形になってくれる。

最後にまったく正反対のことを記しておく。アイデアは出る時にはいくらでも出る。複数のテーマを抱えていても、出る。何の努力をしなくても、出る。ぼんやりして怠けていても、出る。ふだんから「何かないか」と考え四囲の現象や情報に注視する癖さえつけておけば、出やすくなるのだ。運命を担当する神は気まぐれだが、アイデアを仕切る神は努力に応じた成果配分主義を貫いてくれる。少しは励みになるだろうか。 

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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