名乗り方

人は自分のことがわかっているような気になっているが、いったい自分が自分であることの証とは何だろう。おそらく他人に対してアイデンティティを明かす時に自分が強く意識されるかもしれない。初対面の他人に対して自分を名乗る。ふつうは自分の姓名を告げるが、これで身分証明ができているわけではない。したがって、名前を肩書や帰属先で補う。たとえば「○○です。株式会社△△で営業課長をしております」。順番は変わることがある。「株式会社△△の営業課長の○○です」という具合に。組織の屋号・肩書・姓名の3点セットである。しかし、はたしてこの名乗りで自分が何者かが他者に伝わっているのだろうか。

「国会議員です」と名乗るのと「紳士です」と名乗るとは自分の捉え方が違っている。名前を告げた後に「私は紳士です」と自己紹介した人に会ったことはないが、初対面でどこどこの誰々と言われてもその真偽は不明である。つまり、どんな名乗り方をされても「自称」に過ぎない。それが公称でもあるかどうかはしばらく付き合ってみないとわからない。ならば、「自称紳士」もあながちありえない話ではない。

アイデンティティの伝え方にもう一つ有力な方法がある。「~ではない」と言ってみるのである。「○○と申します。決して怪しい者ではありません」。相手に信じてもらえるか怪しまれるかは別問題として、「~ではない」と告げることによって少しは自分をあぶり出せるかもしれない。「サラリーマンではありません」であれ「怪しい者ではありません」であれ、「~ではないこと」を伝えるのも一つの身の証し方ではある。

政治家と紳士、どちらの「個体数」が多いだろうか。微妙である。紳士のほうが多いような気がするものの、現実によくお目にかかるのは政治家のほうで、紳士にはめったに遭遇しない。また、政治家でありかつ紳士である確率はかなり低そうである。だから、ジョークが一つ成り立つ。

「彼は紳士ですか?」
「いいえ。政治家です。」


経営者が「株式会社△△の代表の○○です」と社名と肩書を名乗ったら、その個人のアイデンティティが証明されたと言えるのだろうか。アイデンティティには生業なりわいとしている専門性あるいは得意分野も欠かせないはず。代表だからといって経営ができるわけではないのだから。組織を率いる人、あるいは組織に帰属する人は組織の名称とその組織における肩書を名乗るが、何を得意としているかが不明なことが多い。他方、組織に帰属するしないにかかわらず、プロフェッショナルを任じる人は何ができるのかを必ず名乗ることになる。経済評論家、医師、詩人、弁護士……などである。コンサルタント、フィナンシャルプランナーなどのカタカナの肩書もある。

資格系の肩書や身分は、原則〈自称=公称〉でなければならない。弁護士をはじめ、公認会計士、栄養士、司法書士、消防士、建築士など「士」で終わるプロフェショナルがいる。他に、「師」で終わる医師、教師、調教師、薬剤師らにも資格の裏付けがある。もっとも、「~師」には無資格でも名乗れる例外が多々ある。たとえば、ぼくは講師と呼ばれることが多いが、過去に資格を取得した覚えはない。漁師や尊師や占い師は任意性である。自ら名乗ることはめったにないが、詐欺師や山師というのもある。講師と呼ばれて時々詐欺師や山師のグループに振り分けられたような気がすることがある。

思想家はあっても思想師や思想士、思想者、思想官などは見聞きしない。「~家」というのは、さすが家だけあって奥行きを感じさせる。小説家、舞踊家、作曲家、脚本家、建築家、書家……。そうそう、富裕層を思わせる資産家や蒐集家というのもある。書評家は職業だが、読書家は趣味のニュアンスが強い。著作家ではなく著述業と名乗る人もいるが、家が業になると、営みの色が濃くなるような気がする。

何一つ資格を持たずにプロフェッショナルの下座に着いてきた身としては、「~家、~師、~士、~業」で終わる職名につねに違和感を抱いてきた。そこで一計を案じることにした。「~人」と名乗ってしまうのである。歌人、詩人、職人のように、企画人や発想人と自称してみる。この二つの名称を併せて「アイディエーター」とカタカナの肩書を数年前から背負ってきたが、ニュアンスは「~人」である。芸人や浪人や犯人と同じグルーピングになるが、気に留めないことにしておく。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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