先程出張先のホテルにチェックインした。メールのやりとりの必要があったので、フロントでインターネット用のケーブルが部屋にあるのかどうかを尋ねた。
「あいにくまだ準備ができておりません。モデムの貸し出しになります」とフロントマン。この意味が飲み込めなかった。ぼくの傾聴力に問題あり? そうは思いたくない。
部屋のメークアップとケーブルの有無の話がぼくのアタマで混線してしまっている。なんだかよくわからないまま、部屋にエスコートしてくれた女性スタッフに再度確認して事の次第がわかった。
当ホテルでは、全館各部屋にインターネットのケーブルを設置していない、ゆえにモデムを1泊300円で貸し出す、ということだ。ならば、「まだ準備ができていない」は「当面のところ」というニュアンスを匂わすため、不適切な表現である。この一件、単なるコミュニケーションの巧拙だけに終わる話ではない。
理屈っぽい言い草で恐縮だが、メッセージの前にコンセプトがしっかりと定まっていないのである。部屋のケーブルの有無に対して、ホテルの設備計画面から応答するから伝わらないのだ。言葉遣いや表現の問題ではない。
これに先立って、タクシーの中でダイエットクリニックのリーフレットを見つけた。持ち帰ってきて、いま手元にある。「痩せたくない人は見ないで下さい」という見出し。これにケチをつける気はない。「真に痩せたい人」をターゲットにした一直線のコンセプトだ。だから、こういう言い回しになるのだろう。
ところが、他方で、「痩せたくない人もお読みください」という見出しにする手もあることに気づく。この表現にするならば、コンセプトがまったく違うものになっているはず。「痩せたくない人」には、「すでに痩せすぎていて、これ以上痩せたくない人」と、「ある種の思い(哲学?)があって、痩せたくない人」がいるだろう。この後者の、クリニック側から見れば強情な潜在顧客にも働きかけて損はない。
トマトを使った「トマリコ」というスナックが開発されたとして、「トマトの嫌いな人は食べないで下さい」とするか、「トマトの嫌いな人も食べてみて下さい」とするかは、コミュニケーションの良し悪しではなく、顧客心理へのコンセプトをどう定めるかによって決まる。
コンセプト(concept)は、「考える・はらむ」という“conceive”という動詞から派生した言葉だ。それは、メッセージを送る側の「思い」を凝縮したものにほかならない。