名は実体を表わすようになるのか、いや、もともと実体にふさわしいと思われる名を付けるから名実一体に思えてくるのか……正直なところ、わからない。
「薔薇の花を別の名で呼ぼうと、香りに変わりはない」ということばをシェークスピアが残している。シェークスピアだから“rose”と言ったに違いないが、それを「ズーロ」と呼ぼうが「クサヤニンニクフナズシバナ」と呼ぼうが、芳香は変わらないということだ。人はそこまで名と実を合理的に分別できるとは思わないので、香りに変化が出るような気がする。少なくとも「クサヤニンニクフナズシバナ」を嗅ぐ気にはなれそうもない。
ぼくたちはいろんな実体とそれぞれに付与された名前も目にしてきている。名と実の違和感に意表を衝かれもするし、よくマッチして耳に快く響くこともある。山を「ウミ」と呼び、海を「ヤマ」と呼ぶのに慣れる自信はない。それほど、山も海も発音に代替がないほどピッタリくる。もっとも、ソシュールによれば、山をヤマと呼び海をウミと呼ぶことに必然性はなく、恣意的ということになる。
調べていないので、実存するかもしれないが、「そば処 手打うどん亭」、「割烹 マルゲリータ」、「喫茶 飯島善衛門」などはどうだろう? 違和感は強いが、いずれ慣れるようになるのか。ネーミングも嗜好品のようなものなので、人それぞれの好みもある。それでもなお、同時代を生きるぼくたちには共通感覚のようなものがあるはずだ。想像を逸脱するほど、名と実が乖離していたり整合していなかったりすると、不快感を催す。
もう長らく足を運んでいないが、大阪の日本橋に馬刺しの老舗「牛正」がある。もともと牛肉を食べさせていたらしいが、馬肉専門店になった。そして、創業時の名を変えずに現在に至っているらしい。違和感もあり、牛肉もメニューにあるような印象を受けるが、いったん慣れればそれまで。「馬正」に変えられるほうが異様に響いてしまうから不思議である。
巻頭の写真の店名。この店には行ったことがないので、ぼくには「慣れ」が欠けている。テントには「Beef Steak ビフテキ / 牛屋 ushiya / とんとんびょうし」とある。どこにでもあるわけではないだろうが、「とんとんびょうし」などはありえない名ではない。それはともかく、ビーフステーキ店なのに「とんとん」とポークっぽく響かせるのはどういう理由なのだろうか。テントの上の看板には、小さく「牛屋」とあり、大きく「とんとんびょうし」と書いてある。後者が店名に違いなさそうだが、「ビフテキの牛屋」で十分なはずである。いろんな事情があるにしても、潜在顧客を惑わせるネーミングに首を傾げざるをえない。