孤独に縛られて身動きが取れないと言う。孤独に苛まれるのが堪えがたく、孤独から脱け出そうとする。しかし、孤独から逃げて人に交わっても、別の縛りが生まれ、身動きが取れなくなることもある。
孤独を回避するために、友人知人との約束で予定表を埋める。そんな男から久しぶりに電話があった。「来週の木曜日、ぽつんと時間が空いたので、食事でもいかが?」と言う。「きみ、空いたら空いたでありがたいじゃないか。たった一人のプライムタイムを存分に味わえばいい」と返した。
人と会わないと孤独感が募るなどというのはでたらめだ。生きているかぎり、人は人と出会うし、人と仕事もしなければならない。かと言って、人間は、生まれてから捕獲されるか死ぬまで動き続けるマグロとは違う。一人にもなるし、立ち止まることもある。立ち止まって一人になる――これを孤独と呼ぶのなら、孤独があるからこそ人との交流にも意味を見い出せる。
誰かとのアポで予定表を埋め尽くすきみ。人と会わないと孤独に陥るきみ。あれこれと口実を作っては、仕事も家庭もそこそこにして、大したわけもなく人に会っては飲み食いして、たわいもない雑談に興じている。きみ、忘年会や新年会などに何十回も顔を出して何かが変わったかい?
交際の幅に合わせて身の丈を伸び縮みさせてみてもキリがないのだよ。きみのように常日頃頻繁に人に会っている人間がある日突然来なくなったら、みんな心配してくれるだろう。心配されたら孤独感が和らぐとでも言うのかい?
きみも四捨五入したら還暦だ。そろそろシニア美学を身につけないと。気づかれないように徐々に存在感を薄めて、やがて消えてしまうのが理想だ。人間はどうせいつかは一人になる。一人は「独り」に通じる。いや、独りにならずとも、大勢の中にあって無性に孤独感を覚えるのがシニアというものだ。早晩きみにもやってくる。その時のために、敢えて孤独の時間をつくる予行演習が必要なのだよ。