喫茶店とマッチ

昭和30年代前半(1955 – 1960)、まだ小学生になる前だったと思うが、たまに父が近所の喫茶店に連れて行ってくれた。当時おとなの男はほとんどタバコを喫っていた。よく目にした銘柄は「いこい」「新生」「ショートホープ」など。銘柄もデザインもよく覚えているのは、タバコを買いに行かされたからである。「ハイライト」が出たのはもう少し後だ。

父によると、昭和20年代のモーニングには「タバコ2本付き」というのがあったそうだ。30年代、高度成長に呼応するように喫煙者は増え続けた。喫茶店では皆が皆タバコを燻らし紫煙が充満していた。その匂いを嗅ぎながら――つまり、副流煙を吸いながら――ぼくにあてがわれたのは決まってホットケーキとミルクセーキだった。おとなの世界に少し浸る時間を愉快がっていた。

喫茶店と言えばコーヒー。珈琲という文字も覚えた。コーヒーと言えばタバコと煙、そしてタバコと煙と言えば、マッチ箱だった。その頃はどこの喫茶店でも自家製マッチを用意していたものである。


タバコを喫った時期も止めていた時期も、喫茶店のマッチは必ず一箱いただいて帰った。マッチのコレクションは自室の壁のさんの上に並べていた。なかには有料でもいいと思うくらい立派なデザインのものもあった。最近はマッチを置いていない店が増えた。「マッチをいただけますか?」と聞くと、ライターを持って来る。タバコを喫うんじゃないのに……。

マッチ箱の絵1

一時、マッチ箱の絵をよく描いた。立体的に描くのは当然だが、切り抜いてやると立体感がよりよく出る。描いた内箱の中に、本物のマッチの軸の先を折って貼り付ける。実際はこの部分が2、3ミリほど浮き出ているのだが、内箱に収まって見えるように工夫する。

誰かがタバコを取り出すタイミングを見計らって、この絵を差し出す。お茶目な悪戯だ。触られたらバレるのだが、タバコをくわえて手を伸ばして触るまでがぼくのほくそ笑み時間。そんな小道具などとうの昔に捨てていたつもりが、オフィスのあまり使わない引き出しの奥から出てきた。

甘いプロ

昨年12月、某新聞の夕刊にプロについて書かれたコラムを見つけた。結論から言うと、実に情けないプロ礼賛であった。

ちゃんぽん

コラムを書いた本人が昼下がりにラーメン店に入りちゃんぽんを注文した。「うまい!」と唸り、気分よく半分ほど食べた頃に女性店員が近づいて来て言った。「お客様、食べていただいているところに申し訳ありません。魚介を入れ忘れました」。

エビやイカを炒めて作り直そうとしたらしいが、あいにく昼の営業時間も終わり、火を落としてしまっていた。ここから先は文章をそのまま引用する。

言われなければ、まったく気がつかなかった。女性店員が続けた。「お代は要りません」。「えー!?」。850円。味が格段に落ちたとも思えない。「払いますよ」と答えたが、女性店員は言い切った。「本来の商品とは違いますから」。
プロの気概とプライド。(……) 偽りのない味と心意気に引かれ、この店ののれんをくぐっている。


あ~あ。この一文を読んで、ぼくは呆れ返ったのである。正直なところ、作り話か過剰に脚色したのではないかと思ったくらいだ。何百杯、何千杯とちゃんぽんを作ってきて具材の入れ忘れはないだろう。注文を受け、ちゃんぽんを作り、そして客に出した。その時点で料理人が気づいていない。運んだ店員も気づいていない。「偽りのない味」と筆者は言うが、本来の内容と違うという点で無意識の偽りである。

客である書き手には店側以上に呆れる。凡ミス以下のミスに謝罪してお代を受け取らないということに、世間一般の良識とかけ離れたところで勝手に高揚し感動してしまっている。しかも、本人は言われるまで気づかなかった。「味が格段に落ちたとも思えない」とは、かなりのバカ舌なのだろうエビとイカに失礼である。ちゃんぽんに少しでも食べ慣れていれば、「今日はカマボコとキクラゲの量が少ないこと」までわかるものだ。

ミスをしてそのミスの詫びの入れ方がお代の850円を受け取らないということに、なぜプロの気概とプライドを見い出せるのか。プロも甘ければ客も甘い。いや、客側のハードルの低さが甘いプロに助け舟を出している。お笑い芸人しかり、クリエーターしかり、プロスポーツ選手しかり。打席に20回立ってノーヒット、通算で打率2割にも満たない打者がサヨナラヒットを打って万雷の拍手を受けるのも滑稽だ。サッカーにもそんな選手がいる。喉元過ぎて熱さを忘れてはいけないのはアマチュアである客のほうだ。実力以上に過剰評価をせず、プロとして飯を食っている者にクールなまなざしを向けてしかるべきである。

「この一球は二度とない」
「プロはミスをしてはいけない」

王貞治のことばである。ハードルが高く、己に厳しい。この時間、この仕事、このお客は二度とないという覚悟。これこそがプロの気概とプライドではないか。プロでも、ミスはありうる。しかし、プロだからこそ、ミスをしてはいけないと自らに言い聞かせねばならないのである。

コロッセオ

文豪ゲーテは『イタリア紀行』の中で次のように書いている。

この円形劇場を眺めると、他のものがすべて小さく見えてくる。その像を心の中に留めることができないほど、コロッセオは大きい。離れてみると、小さかったような記憶がよみがえるのに、またそこへ戻ってみると、今度はなおいっそう大きく見えてくる。

ゲーテはおよそ一年後にも訪れることになるのだが、その時も「コロッセオは、ぼくにとっては依然として壮大なものである」と語っている。

ゲーテが最初にコロッセオにやって来たのは17861111日の夕方。ローマに着いてから約10日後のことである。オーストリアとイタリア国境を越えてイタリアの旅に就いてから、ちょうど二ヵ月が過ぎていた。

コロッセオは西暦72年から8年かけて建設された。円形競技場であり、同時に闘技場でもあり劇場でもあった。長径が188メートルで短径が156メートル。収容観客数5万人だから、「コロッセオは大きい」というゲーテは正しい。現代人のように高層ビルやスタジアムを見尽くしているのとは違い、今から200年以上も前のゲーテを襲った巨大感は途方もなかっただろう。少なくともぼくが受けた印象の何十倍も圧倒されたに違いない。


コロッセオ(Colosseo)は遺跡となった競技場の固有名詞だが、実はこの名前、「巨大な物や像」を意味する“colosso”に由来する。形容詞“colossale”などは、ずばり「とてつもなく大きい」である。この巨大競技場での剣闘士対猛獣または剣闘士対剣闘士の血生臭いシーンを描いたのが、映画『グラディエーター』だった。キリスト教が公認されてからは、ローマでは見世物は禁止される。この時代に放置された建造物は、ほぼ例外なく建築資材として他の用途に転用された。コロッセオの欠損部分は石材が持ち去られた名残りである。

四度目に訪れた2008年春のローマ、ようやくコロッセオの内部を見学することができた。それまでの三回は、近くに行ってはみたものの、ツアーの長蛇の列を見て入場するのが億劫になっていた。「競技場内の遺跡は何度もテレビで見ているし、まあいいか」と変な具合に自分に言い聞かせてもいた。しかし、強雨のその日、列は長蛇ではなかった。先頭から数えて二十番目くらいである。こうなると「雨が遺跡にいにしえの情感を添えてくれるかもしれない」と悪天候礼賛に早変わり。小躍りするように場内に入った。

言うまでもなく、圧倒的な光景であった。それでも、コロッセオは外観がいいと思う。近くから見上げる外観もよし。パラティノの丘から少し遠目に見るのもよし。ゲーテの指摘する建造物の巨大を他と見比べてなぞれるのは、ローマが今もなお古代を残しているからにほかならない。

(本稿は2009年8月9日のブログ記事を加筆修正したもの)

EPSON001Katsushi Okano
Colosseo
2008
Watercolors, pastel, pigment liner

習慣形成について

「プロフェッショナルにとってもっとも重要な要素は何か?」と聞かれて、「はい、これです」と安直に即答できるはずがない。枚挙にいとまがないので、一つに絞るなどは不可能なのである。だが、もし三つまで許されるなら、「習慣形成」が確実に入ってくる。

習慣形成

ビジネスの場合は顧客から見て、行政の場合は市民から見て、プロフェッショナルはピンと際立って見えなければならない。もっとも、仕事に就く前から、誰もプロフェッショナルに恥じないスキルやノウハウを携えているわけではない。また、言うに及ばないが、仕事に就いた直後にいきなり身につくものでもない。

しかし、スキルやノウハウに先立って、日々習慣的に培ってきた何らかの資質が備わっている必要がある。面倒臭がらないという資質(たとえば料理のプロ)、細かな気遣いという資質(たとえば建築のプロ)、手先の器用さという資質(たとえば外科医)などである。

もちろん、個人差があるから、他の資質であってもいい。重要なのは、どんな資質であれ、覚えたり聞いたりしたものではなく、日常生活で習慣的に繰り返してきた経験に裏打ちされているという点である。ピンととんがったその資質が自分の仕事の骨格を形成しているという自覚であり自信である。


専門スキルやノウハウは、生活習慣から独立しているのではない。仕事と生活は不可分の関係にある。それゆえ、プロフェッショナルとしての能力は、生活スタイル、癖、繰り返しによって培養される。つまり、日々の習慣形成された資質が高度な専門性の基盤になるのである。習慣と能力の相関性についての教えはおびただしい。数ある名言から二つ引用しておこう。

「習慣は第二の天性なり」(古代ギリシアのことば)

「成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の集積である。習慣的な能力は修得に努めることが必要である」(ピーター・ドラッカー)

いずれも「ならせいと成る」ことを教えている。身についた習慣は無意識のうちに暗黙知として身体に浸み込む。まるで生まれつきの性質のように才能になるのである。

エントロピー増大、または宴の後

〈エントロピー〉の物理的法則について全容を語る資格はないが、素人解釈でかいつむことにする。

宇宙は時間の経過とともにエントロピーを増大させる。そして、一方的に増大するばかりで、今よりも秩序だっていた過去には絶対に逆戻りしない。生命体も同じである。加齢にともなってエントロピーは増大する。不可逆的に秩序から混沌カオスへと向かい、やがて死滅する。

エントロピーは「大きい、小さい」で表現される。たとえば、部屋が整理整頓されている時に「エントロピーが小さい」と言い、散らかった状態になると「エントロピーが大きい」と言う。宇宙や生命と違って、たとえば部屋などはある程度元に戻せる。耐えきれないほどの混沌状態になれば、いらないものを捨て、いるものは元の場所に片付けて整理整頓することができる。さらに、部屋を使わなければある程度秩序も保てる。断捨離とはエントロピーを縮減することだ。しかし、いずれまたモノは増え、部屋は秩序を失う。人が生きていくという過程では――そして、何らかの生産活動をおこなうならば――やがて部屋は散らかってくるのである。

学習して知識を得る、外界と接して情報を取り込むのもエントロピーを増やす行為にほかならない。学べば学ぶほど脳は混沌の様相を呈する。それを苦しみと考えるならば、知識や情報の流入量を減らしてわかりやすい秩序に戻るしかない。エントロピーを増大させたくないのなら、何もしなければいいのだ。しかし、それは創造的生き方に逆行する。きわめて逆説的に響くだろうが、人が生きるということはエネルギーを消費することであり、多かれ少なかれ、環境に負荷をかけて散らかしていくことなのだ。脳内カオスは創造的営みに付きまとうのである。


宴が始まる前の宴会場には料理が整然と並び、空気が張りつめてシーンとしている。客が会場に集まり開宴の時点からエントロピーが徐々に増大し始める。飲み喰いに興じ、料理がみるみるうちに少なくなり、酒が尽き始め、客の定位置も乱れ、あちこちで雑音のように会話が飛び交う。

やがて宴もたけなわ、エントロピーはお開きの時間までさらに増大し続ける。客は知らん顔して宴会場を後にするが、店側は翌日に備えてエントロピーを小さな状態に戻し、次の宴席を開く。もし、自宅でへべれけになったら、翌朝エントロピーが増大したままの光景を目の当たりにするだろう。

Dopo il banchettoKatsushi Okano
After the banquet (宴の後)
2014
Pastel, ink, watercolors, felt pen

否定の話

「~がある」も「~がない」もとても明快である。前者が肯定で後者が否定の基本文型だ。「Pがある」の否定形は「Pがない」。疑う余地はない。「Pがある」の否定を「Qがある」と早合点してはいけない。否定という作業はお節介に代案を示すことではないからだ。「天候は晴れである」の否定は「天候は晴れではない」であって、「天候は雨である」ではない。

否定.jpg

順序で言えば、はじめに肯定ありきで、その次に否定が来る。「そろそろ休憩にするか」という肯定的な提案の後に、「いや、休憩はいらないだろう」という否定がありうる。このことから何が言えるか。否定はつねに肯定を前提とするが、肯定は否定を前提にする必要がないのである。肯定を吟味しないで唐突に否定が生じるのではない。肯定を保留し懐疑してはじめて否定が登場してくる。下記引用の視点を頭の片隅に置いておけばいい。
「言語をもち、世界の像を作り、そうして、可能性へと扉が開かれている人だけが、否定を捉えうるのである」(野矢茂樹『論理哲学論考を読む』)

ふだん人は肯定的にものを見る。いまぼくの視野は机の上のペットボトル、目薬、銀行員の名刺、小銭入れをとらえている。とても素直な見方であり、すべて「~がある」と肯定しうる事実である。「~がない」と言い得るためには、そのないものへの欠乏感が必要だ。コーヒーが飲みたくて、そしてここにコーヒーがあってもいいはずだと考える時に、「コーヒーがない」という否定形の文章を発したり思いついたりする。あるがままの現実を素直に見ているだけでは、否定などという発想は生まれない。「何かがある」と認識するよりも、「何かがない」と気づくためには「不在」への強い意識と目配りが欠かせないのである。

人や意見を褒め、受容し、承認するなどの肯定的行為がつねにいいことだと考えている人がいる。類は類を呼んで群れ、まるで同病相哀れむような関係では成長も進歩もないだろう。否定行為への風当たりは強いが、無思考的に左から右へと流すような〈肯定〉よりは、一度立ち止まる〈否定〉のほうが健全な発想なのではないか。
論理思考ないしは論理学においては、否定はかなり重要な役割を担う。念のために書いておくと、論理学では論理を通すためにきわめて初歩的な品詞を使う。「PはQである」という時の「~である」。それを打ち消す「~でない」。おなじみの「AかつB」の「かつ」と、「AまたはB」の「または」。あとは「すべての~」と「いくつかの~」である。これらの日常茶飯事よく使う語を単純な規則で組み合わせれば論理の一丁上がりというわけだ。
しかし、単純明快に使いこなすには慣れも必要である。とりわけ、否定に戸惑う人がいる。たとえば「AかつBである」(A and B)の否定は、「AでないかBでない」(not A or not B)である。「彼は京都と奈良に行った」の否定は、「彼は京都か奈良のいずれかに行かなかった」であって、「彼は京都にも奈良にも行かなかった」ではない。また、「AまたはBである」(A or B)の否定は、「Aでもなく、かつBでもない」(not A and not B)となる。「彼女は風邪薬か頭痛薬のいずれかを飲んだ」を否定すると、「彼女は風邪薬と頭痛薬のどちらも飲まなかった」になるのである。
ともあれ、前言の検証があり、その前言に異議ありと確信してはじめて否定が成り立つ。否定には一工夫がいるし、責任もともなう。単純にノーを発して知らんぷりできるような作業ではないのである。否定を批判と読み替えることができる場面がある。否定される者は批判する側が自分に関わってくる動機をよく読まねばならない。

エトルリアの街

トラベラーズノート200439日からの抜き書き。実に細かく書いている。十年前は今よりもだいぶマメだった。

ローマのホテルスパーニャでの朝食ビュッフェは果物豊富。ランチはテルミニ駅構内のトラットリア。チキンにポテト。ペンネのゴルゴンゾーラ。

ローマテルミニ駅13:48発ユーロスター。ペルージャ駅15:53着。駅前バスターミナルから7番のバスでイタリア広場へ。古い建物を改築した、いびつな構造のホテルにチェックイン。手渡された鍵には凝った細工がほどこされている。

夕暮れ前、荷解きもそこそこにして街歩き。イタリア広場からヴァンヌッチ通りを北へ250メートルほど行くと「クアットロ・ノヴェンブレ(114日)広場」に出る。ペルージャの象徴的なシンボルの大聖堂、プリオーリ宮、大噴水などがひしめいている。スーパーで惣菜を購入して夕食とする。瓶詰めムール貝、たっぷりサラダ、モツァレラ、カットピザ、赤ワイン。

ローマから北へ列車で2時間、小高い丘にペルージャがたたずむ。紀元前8世紀まで遡れば、ここはイタリア半島に原住していたエトルリア人の街であった。やがて古代ローマ人と同化したという。コンパクトな街なので1時間もあれば徒歩で一巡りできる。建物はおおむね古色蒼然としており、裏通りから坂を上がって行くとエトルリア時代名残りの建造物が威風堂々と構えている。


イタリアで経験してみたいと思いながら、実現できていないことが二つある。理髪と映画鑑賞である。いずれも語学力を試す格好の場だが、聴いていればいい後者に対して、前者は細かいニュアンスの希望を伝えねばならない。特殊な教本で表現を覚えたりもしたが、理髪店を覗けば常連ばかり。そこに旅の人間が入店するにはかなりの勇気を要する。それと、マフィア系の映画だったか、床屋で客が喉を搔き切られるシーンを思い出してしまう。躊躇して結局は店の前を通り過ぎることになる。

ペルージャの映画館テアートロは小ぢんまりとしていて入りやすそうに見えた。しかし、ちょっと待てよ。翌日は正午に列車に乗ってフィレンツェに向かうのだ。わずか12日、正味20時間ほどの滞在なのに、2時間を割いて映画を観るのか。そう自分を問い詰めたら、答えはノーだった。

IMG_5633Katsushi Okano
Teatro, Perugia
2004
Watercolors, ink, pastel

二人称の語り

きみは真鍮しんちゅうの溝の上に左足を置き、右肩で扉を横にすこし押してみるがうまく開かない。

ミシェル・ビュトールの『心変わり』はこのように始まる。そして、次のように終わる。

通路にはだれもいない。きみはプラットホームの群衆を眺める。きみは車室コンパルティマンを離れる。

ビュトール 心変わり

この小説のあらすじをここに書くつもりはない。もっとも、ぼくが読んだのは三十数年前で、あらすじを書けるほど覚えてもいない。パリからローマへと一人旅する男の列車内における観察と描写は執拗であり細部に及んでいる。話よりもそのことが強く印象に残っている。

主人公が「おれ」や「ぼく」や「わたし」などと一人称代名詞で語っているなら、読者は他者として状況や物語を感じ取ることができる。また、「彼」や「彼女」と三人称であれば、読者と主人公の距離は少し広がって客観する立場が強まるかもしれない。ところが、この小説は二人称代名詞の「きみ」で綴られ、それによって注目を集め話題になった。


おれは昨晩度を越すほど酒を飲み、翌朝ひどい頭痛に悩まされた」と書かれていても、「あ、そう」と読者は平然と読めばいい。ところが、「きみは昨晩度を越すほど酒を飲み、翌朝ひどい頭痛に悩まされた」と作者が綴れば、読者は否応なしに当事者へと変身させられてしまう。読者であるはずのぼくが、「きみ」という二人称の語りを読み進めるにつれ、作品の中へ主人公として引き込まれてしまうのである。

「その日、きみは午前七時に起床して、近所の喫茶店でモーニングを注文した」と書かれると、行動が観察されたことになる。いや、このように事実を語られるだけならまだ冷静でいられる。しかし、「きみはトーストの端っこを齧り、バターの味が薄いことに若干の不満を覚えた。むろん、そんなことできみは腹を立てたりなどしない。コーヒーをすすってトーストを流し込んでしまえば別にいいさ、ときみは思う」となると、話は別である。心象や心理まで描かれたら、すべてを見透かされた気分にならざるをえない。「いや、違う。ぼくはそんなふうに思ったりしていない」と反撥しても、書き手は一切聞く耳を持たず、「きみ」を主語にして話を進めていく。

誰が語っているのか、誰が思い行為しているのかが明示されなければ、文章で語られていることは空疎なのだ。再び『心変わり』の一節。誰がそうしているのかがわからないように主語を伏せてみた。どうだろう。なんとなく落ち着かず、「いったい誰が?」と問いたくなる。

扉から頭をつきだし、左右を眺め、車室をまちがえたのに気がつき、遠ざかり、見えなくなる。

この主語が「きみ」なら事件だが……。実際の文章は次のように書かれている。

ひとりの男が扉から頭をつきだし、左右を眺め、車室をまちがえたのに気がつき、遠ざかり、見えなくなる。

文は個々の単語の組み合わせで意味を持つ。しかし、それ以上に重要なのは「主述関係」という構造なのだ。主語の人称が変わると主語と述語の関係が変わり、ひいては意味や気分が変わり、そしてたぶん、思考軸までもが変わるのである。

パーキンソンの法則

〈パーキンソンの法則〉を持ち出すまでもない。生産性の低い空気が充満する職場では、仕事の振りをする態度が目立ち、大した仕事をしていないのに仕事をしている気になっている。問題を分析するばかりで、いっこうに解決しようとしない。したがって、仕事の達成感は乏しく、いつまでたっても質的向上は望めない。

変化・スピード・多様性は現代ビジネスの不可避的なノルマである。課題は山積している。仕事とはその課題を解決することだ。迅速かつ鮮やかに仕事をこなすプロフェッショナルがめっきり減ってしまった。

上記の文章はぼくの『プロフェッショナル仕事術(旧版)』のプロローグの一節である。パーキンソンの法則はシリル・N・パーキンソンが1957年に経済誌”エコノミスト”で発表し、一躍世界の注目を集めた。半世紀以上も前の法則であり、時代も激変したはずなので、もはや通用しなくなっていても不思議でない。だが、この法則は色褪せていない。つまり、相も変わらず人は同じような仕事ぶりを繰り返しているのである。

パーキンソンの法則

パーキンソンの第1法則は、「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて費やすまで膨張する」というもの。多忙時であっても5時間でこなせるルーチンワークなのに、暇を持て余していると10時間費やしてしまうのだ。つまり、質とは無関係に仕事が5時間分膨張したのである。

黒字の年でも赤字の年でも従業員の数が同じで、勤務時間も増減しない。たしかに、高度成長の萌芽期にはそういう傾向が見られた。そして、仕事の規模が縮小しても、行政の職員の数は増え続けた。部や課の単位では部員や課員が増えるのを歓迎したのである。

昨今も同じような現象がある。たとえば杓子定規にワークシェアリングを実施すると、どうでもいい仕事やムダがどんどん増えていく。それはそうだろう。当面の仕事のために雇ったのではない人材に何がしかの作業を分与するのだから。二人でできていた仕事を三人で分ければ、トータルの所要時間は増えるに決まっている。仕事にスピードと効率が考慮されなくなる。

少数精鋭などどこ吹く風、という企業が今も少なくない。決まった時間内に三つの仕事をこなしていた人間が、仕事が一つに減っても同じだけの時間働いている、あるいは働いている振りをする。いつの時代もいい仕事をしているのは、多忙でスピードのある人なのである

ハイボール

ハイボール2

ウィスキーを炭酸水で割った氷入りの飲み物をハイボールと呼ぶ。

小遣い不足で喘いでいた二十代前半、先輩に場末のスナックバーによく連れて行ってもらった。先輩には仕事熱心な人が多かったので、ぼくから飲み食いをねだらなくても、仕事の話があるからと言ってよく誘ってもらったものである。

そこで「ボトルキープ」なるものを知る。金を払ってボトルを店に置いてもらうこのしくみをなかなか理解できなかった。まだウィスキーがうまいと思っていなかった頃で、「水割りでよろしいですね」と言われるまま飲んでいた。酒は飲めなくはなかったが、一杯乾して二杯目から酔いが回り始めていたから下戸の類だった。ある先輩はハイボールしか飲まなかった。一度勧められて飲んだが、水割り以上にうまいと思えなかった。ハイボールという語感もぼくには安っぽく響いた。

三十半ばで起業して付き合いも増え、徐々にウィスキーの水割りが三杯、四杯と飲めるようになる。元来ビールとの相性があまりよくなく、焼酎も水割り以上にうまいと思ったことがなかった。当時はワインもひいきではなく、消去していくとウィスキーしか選択肢がなかった。やがてバーボンが気に入るようになり、もっぱらバーボンの水割り。ストレートやロックにはめったに手を出さなかった。


かつてオヤジたちが飲んでいたハイボール。今では愛飲者の年齢も若くなった。コマーシャルのせいもあるだろう。バーボンの水割り一辺倒だったぼくも、ウィスキーと炭酸水の銘柄をあれこれと変えてハイボールを飲み比べするようになった。「とりあえずビール」という形式を好まないので、グループでの外食時も敢えて一杯目からハイボールを指名する。二十代の時に比べたら賞味力は大幅にアップしているはず。

ぬるいハイボールは困るが、冷えすぎると味が薄っぺらになる。あくまでも好みだろうが、グラスに氷を山盛り入れてウィスキーの瓶そのものをキンキンに冷やすという、S社のハイボールの作り方にはなじめない。最近、イメージキャラクターのH.Iにも共感を覚えない。炭酸を注いでからマドラーで「かき混ぜ過ぎちゃダメ」とか、「濃いめが好きな人は濃いめでどうぞ」など、余計なお世話である。強い炭酸なら少々混ぜるのもよし。それに、自分で作るのだから、薄いのが好きなら薄めで飲み、濃いのが好きなら濃いめで飲むのは当然だ。

とは言うものの、ウィスキーの銘柄以上に氷、炭酸、配分・作り方がハイボールの決め手になるとつくづく思う。AランクのウィスキーのハイボールがX店で味気なく、CランクのウィスキーのハイボールがY店で極上ということは常である。極上の店の技には及ばないが、下手な店で飲むくらいなら自分で作って飲むというのが最近のモードになっている。