料理関係に著書の多い玉村豊男が、ある本でトルコ人の親切な男に抱いた心情を書いている。
数日間をともに過ごしたその男について最後まで疑念を払拭できなかったとしても、それは止むを得ないことだ、と自己弁護したくなるのだけれど、やはり胸を開いて接してくれたあのホスピタリティーに対してはこちらも全幅の信頼でこたえるべきだった。悪いことをしたと思う。
こう書いた後に、「他人を信用し過ぎると失敗することがある。他人を信用しなければ友人はつくれない」と結んでいる。
フィレンツェで寄付を求められ、署名して少額だけ渡したことがある。広場に大きなテーブルを並べて数人で大々的にやっていた。結論を書くと、公式の団体だった。しかし、いつまでも騙された気分を引きずっていた。
カフェに入って店員やお客の似顔絵をスケッチしていたら、みんな悪徳的な魂胆の持ち主に見えてきた。信用するかしないかの二者択一でないことは承知している。信用度にはグラデーションがあって80とか30などの評定をするべきだ。だが、数日間の長い付き合いなどは稀だから、初対面の相手には信よりも疑から入っておくのが自己責任の取り方なのだろう。
バルセロナで遭遇した署名運動グループは明らかに詐欺集団だった。「この施設は階段しかない。年寄りや障がい者のためにエスカレーター設置運動をしている」というような調子で署名を求めてくる。記帳させると寄付金を要求するというお決まりのコース。「ノー」と突っ張ってもしばらくは数人が付きまとってくる。身の危険を感じることもあるだろう。面倒だと思うのなら、署名の時点で拒否しておくべきである。要するに、見知らぬ者とは接点と時間をいたずらに増やさないことだ。これに比べれば、メトロやバスで遭遇するスリ集団は明らかにその方面の連中だとわかるから、きちんと用心をしていれば被害を防げる。特にパリでは十代半ばの可愛い女子三人組が多いので、すぐにわかる。近づいてきたら突き飛ばせばいい。場合によっては叫べばいい。
日本でタバコを喫わなくても、旅に出るとちょっと一服したくなる時がある。パリの街角で一本喫っていたら、移民系の黒人男性が近づいてきて「火を貸してくれ」と言う。ライターで点けてやると、尋常ではないほど感謝され、「お礼のしるしだ」と言ってバッグからワインのボトルを取り出して手渡そうとする。受け取ると金をせがまれる。いや、もしかすると、ほんとうに善意なのかもしれない。だが、受け取ってはいけない。「ありがとう、でもワインは飲まないんだ」と言い捨てて場を去る。もし気持ち悪ければライターの一つでもくれてやればいい。
バッグを引ったくられて警察へ届出に行けば長時間待たされる。語学ができなければさらに待たされる。置き引きの被害に保険は下りない。ぼくはミラノのホテルで置き引きに近い盗難に遭い、時間がなかったのでローマに移動してから警察で手続きをした。今だから書くが、置き引きを引ったくりに、ミラノをローマに脚色して申請したのである。
待合室は旅行者で溢れかえっている。自分のことを棚に上げて、よくもこれだけ大勢が被害に遭うものだと驚いた。半時間ほど待ってやっと警察官が入ってくる。「イタリア語または英語のできる人?」と聞くから、一番に手を挙げた。そして、一番に対応された。イタリア語で説明し書類の該当箇所を埋めたり書いたりして、スタンプをもらっておしまい。遅くやって来て一番最初に申請できたという次第。黙っていてはいけない。