職住ともに大阪市中央区である。大阪城から徒歩10分圏内、行政機関が集中している地域だ。歴史のある街で、かつては熊野参詣の起点として栄えた。八軒家浜の名残があり、この船着場に京洛からの産品が届けられていた。その大川では七月の天神祭に船渡御が執りおこなわれる。『プリンセストヨトミ』のロケ地にもなった空堀商店街もこのエリアにある。ところが、マンションもテナントビルも、空堀ならぬ「空洞化」の気配が漂い始めた。
これで行政機関が大挙して移転でもしたら泣き面に蜂である。すでにテナントオーナーらは対策を講じるべく勉強会を立ち上げている。起業してオフィスを構えてから24年、住まいを移してから5年半が過ぎた。変遷を目の当たりにしてきて、繁栄よりも凋落のトレンドを肌身で感じる今日この頃だ。ランチタイムで出掛ける200メートル四方にかぎってみると、20年以上続いている店はおそらく十指かそこらだろう。
威張れるような経営をしてきたわけではないし、商売のセンスがいいとも思わない。誠実に仕事をしているのでどうにかこうにか生き残っているが、血眼になって商売をしてきたと胸を張れない。しかし、消費者としては賢明であると自負しているし、顧客として店や商売人を見る目はあると思う。その視点からすると、このマーケットで立地して失敗してきた飲食業の典型が浮かび上がる。オーナーたちはあまり研究していない。①夜と土曜日で苦戦する、②地下で苦戦する、③メニューで苦戦する――これらが失敗に到る3大要因である。
当該エリアは官庁・ビジネス街だから、昼間人口は多い。良心的にやっていれば、昼は常連客がつく。健闘している店なら、800円のランチを百人にさばいているだろう。問題は、①の夜間である。大半の仕事人は、飲むなら帰路になるキタかミナミへ繰り出す。まずまず頑張っている店は、夜のターゲットを地元住民に定め、夜に飲食してもらえるよう工夫している。そんな店には土曜日の夜もお客さんが入る。
次いで②だが、成功例は二、三軒のみ。ビル地下では何度も店が替わっている。それでも、什器備品がそのまま使えることもあって、しばらくすると次の店が入る。
最後に③。ターゲットを絞り込んでいないからメニュー戦略を誤ってしまう。昼にアボガド丼やエスニックはダメである。また、夜のご馳走過剰もダメである。ビル地下で夜をメインにした鯨料理店があったが、あえなく3ヵ月で「反捕鯨状態」。絵に描いたような三つの苦戦ぶりであった。飲食業のためにアイデアを出す相談を何度か頼まれたが、総じて頑固なオーナーが多い。アドバイスを求めているくせに、アイデアを提供すると、「そうは言うものの……」と守りを固めて前例を踏襲する。
頑固とこだわりは商売人のDNAだから、やみくもに否定はしない。それならそれで、もう少し個性的なスタイル――たとえば無愛想と偏屈を売りにする職人芸など――を見せてほしいものである。ミスター・ビーンでおなじみの著名なコメディアン、ローワン・アトキンソンが英国の商売人についてこう書いている。
「小さな事業をしているのに、お客が来るのを嫌うのはイギリス的なんだ」
これは逆説的に読まなければならない。ヨーロッパではこんな商売人をよく見かける。うわべのお愛想を振りまくよりもよほどましで、さほど悪い気がしない。おそらく、お客さんを徹底的に絞り込んで、抑制のきいた商売をしているからに違いない。