「へぇ、こんなものがあるのか」と驚いた。
大阪市外に住んだ時期も二十数年ほどあったが、ほんの数年間を除けばつねに大阪市内で働いていた。仕事は転々としたが、いつも市内の職場に通っていた。今は職住ともに大阪市中央区。自宅と職場は徒歩15分足らずなので、勤務に地下鉄は使っていない。数年前までは地下鉄に必ず乗っていたし、ライフスタイルは車を持たない主義なので、どこかへ行くとなれば最寄の地下鉄駅が起点になる。近くを谷町線、堺筋線、鶴見緑地線という三つの地下鉄が走り、自宅から徒歩5分圏内にそれぞれの路線の駅がある。
地下鉄をよく利用してきたし詳しいつもりでいた。だが、初めてそれを見て少し驚いた。「それ」とは、大阪市交通局が発行する『ノッテ オリテ』9月号。漫才師のような雑誌名だ。隔月刊のフリーマガジンらしいが、こんなものがあるとはまったく知らなかったのである。手にした9月号では「大阪旅 坂の町をゆく」と題した特集を編んでいて、上町、七坂、天王寺の風景が紹介されている。しょっちゅう散歩しているなじみの街並みだ。
大阪城から南方面に広がる一帯が高台の上町台地。山あり谷ありは大げさだとしても、起伏があるので坂の多い光景を呈している。天満橋にあるぼくのオフィスのすぐそばを谷町筋が通り、大川の手前、土佐堀通の南側の傾斜が大阪の由来になった坂と言われている(大阪はかつて大坂、つまり「大きな坂」だった)。上町から見れば谷町は「谷」だから、狭い街中にあって高低感をよく表わす地名になっている。
さて、交通局が発行するその雑誌。巻頭に若手作家の万城目学が『谷町線おもいで語り』と題してエッセイを書いている。谷町九丁目に住んでいた話、天満橋の小学校へ地下鉄で通っていた話、谷町線特有の紫のラインカラーの話などを懐かしく綴っている。次の行を読んで、思わずにんまりとしてしまった。
「(……)これまで数えきれぬほどの難解な漢字の組み合わせを見聞きしてきたであろうに、『いちばん難しい漢字四文字の組み合わせを答えよ』と問いかけられたなら、反射的に『喜連瓜破』の四文字が浮かぶ(……)」
ありきたりの文章だ。この文章に対して思わずにんまりしているのではない。「きれうりわり」と読ませる四文字の響きがたまらないのである。ここには何とも言えない、また知らない人には説明のしようのないおかしみがこもっている。喜連瓜破は、おそらく商売繁盛と並ぶほどの、大阪色たっぷりな四字熟語なのである。ちなみに、喜連瓜破は地下鉄谷町線の駅名の一つ。そして、この谷町線は、珍しいほど路線をくねらせて走っている。
谷町線を南から北へと辿ってみよう。八尾南、長原、出戸へと上がり、喜連瓜破で西へと向きを変え、平野、駒川中野(この近くに大学生頃まで住んでいた)、田辺、文の里、阿倍野、天王寺へと達する。ここで再び北へと進路をとり、四天王寺前夕陽ヶ丘、谷町九丁目、谷町六丁目、谷町四丁目とくどい駅名が続き、天満橋へ。ここからまた西へ向き、南森町を経て、息つく暇もなく、東梅田、中崎町と北上。天神橋筋六丁目(日本最長で有名な商店街の最北地点)からは東へと走り、都島、野江内代、関目高殿、千林大宮、太子橋今市、守口、そして終点の大日へと到る。実に四文字の駅名が五つもある。
喜連瓜破の他にも、生粋の大阪人が「おかしみのツボ」に嵌まる地名がある。さしずめ放出、杭全、天下茶屋はトップブランドだろう。「どうしておかしいのですか?」と他府県びとに聞かれても困る。おそらく語感と場所柄のイメージが複雑に絡み合ってそうなったはず。とにかく、これらの地名が脳内に響いただけで鼻から漏れそうな笑いの息をこらえたり実際に笑ってしまったりする人たちが少なからずいる。なお、今日の夕方、ぼくはさっき紹介した関目高殿で講演をおこなうが、一つ手前の駅の野江内代がちょっとやばい空気を醸し出しているのに気づいた。要注意だ。要注意とは、地下鉄の電車内で一人にんまりとすることへの警鐘という意味である。
世間一般のブログでのコメントのようで、甚だ恥ずかしい限りですが…
大阪人、関西人でないので、駅名・地名の本来の意味はわかりませんし、
また生活感のある味わいのようなものを感じるまではできませんが、
数年大阪で生活をさせていただいた者として、久々にこの谷町線の駅名を
見ると、当時の感覚が熱く沸きあがってきた次第です。
「喜連瓜破」。失礼ながらその駅で降りたこともありませんが、私の中の
大阪のイメージ、感覚を形作る1つなんだなぁ、と感じました。
今住んでいる街の、何気なく過ごし、素通りしてしまっているもの・こと
を、もう一度注目し、知り、感じてみます。
土屋さん、お元気の様子で何よりです。大阪・・・・・・懐かしいでしょう。いい思い出も嫌な思い出も、時がすべていい思い出に変えてくれるものです。そこで生まれ育ったということは決定的な事実だけれど、ぼくたちは今を生きているのですから、今に住まい今に働いている土地への愛着なくして幸せはないのでしょうね。そういう意味では、ぼくはどこにでも同化する自信はあります。また、大阪生まれの大阪育ちでも、知らないことは知っていることの何百倍、何千倍なのです。いたずらに流されぬように日々生活し、懐かしい光景に対して観察眼を研ぎ澄ませば、見えざるものが見えてくる不思議にハッと気づきます。コメントありがとうございました。