フェイントの季節

近くの川岸が夕方になるとほのかに橙色を帯びる。もしかして桜? と早とちりする人がいるが、十日以上早いからさすがに桜はない。実はライトアップ。ライトアップが春のフェイントをかけているのだ。

春本番を控えて景色がフェイントをかける、気配も気候もフェイントをかける。フェイント(faint)は「かすかな」ということ。かすかであるから一時的に春らしくなっても、すぐにらしさは消えて、また肌寒くなったりする。三寒四温とは、冬から春に移り変わる時期の言い得て妙である。

散歩中に、右へ曲がりかけて、ふと気が変わって左へときびすを返すことがよくある。冬色と春色が境界なく混ざるような配色も目に入る。焦点が定まらず、身体も適応し切れず、気持ちはいいのだが少々気だるくふわっとする午後の時間がある。


今年こそやるぞ! 旅に出るぞ! 本を読むぞ! 趣味に勤しむぞ! などと毎年同じことを決意表明する者がいる。必ずしも他人事と言って片付けられないが、あれもフェイントの一種である。自分を宥め欺き、決意をきれいさっぱり忘れるために欠かせない一人フェイント。

人生は大小いろいろなフェイントの連続。時には一人で、時には集団で。フェイントは自分を、他人を惑わせ続ける。そして、フェイントであったことがばれる。フェイントのフェイント、それに次ぐフェイント、そのまたフェイント……フェイントはフェイントを呼ぶ。

リアルとシュール

ステーキにはステーキソースか塩・胡椒が当たり前だった。この組み合わせが常識・定番コモンセンスで、それ以外の選択肢はないように思えた。ところが、ステーキにわさび醤油が合わされるようになった。シュールで前衛的な印象を受けた。「ん? 合わんだろう」と首を傾げて食べているうちに、この食べ方も定着して、今ではまったく意外性はない。

シュルレアリスムの手法の一つに〈デペイズマン〉というのがある。フランス語で「意外な組み合わせ」を意味する。今、ぼくのデスクの上に書類があり、その上にガラス製のペーパーウェイトが置いてある。「デスクの上の書類とペーパーウェイト」に誰も不意を突かれない。このマッチングは常識も常識、日常茶飯事の光景である。しかし、書類の上にラップに包みもせずに焼きおにぎりを乗せたら、その光景はシュールになる。

対立する二つの要素――または常識的にはなじみそうにない二つの要素――を並べて、コラージュのように貼り合わせてみると、シュルレアリストたちの好む画題が生まれる。かつてロートレアモンが表現した「解剖台の上で偶然に出合ったミシンとこうもり傘」を美しいと思うか思わないかは別にして、意外性にギクッとする。特に解剖台という設定に。


「シュルレアリスムとは、心の純粋な自動現象によって思考の働きを表現しようとすること。理性や美学や道徳から解放された思考の書き取りである」とアンドレが言った。一言一句この通り言ったのではなく、こんな感じのことを言った。アンドレ? フランスの詩人で、シュルレアリスムの草分け的存在、ほかでもないアンドレ・ブルトンその人。

フランス語の“surréalisme”は「超現実主義」と訳された結果、前衛的なニュアンスを持つようになった。ともすれば、現実に相反する概念のように錯覚するが、“sur-“は強調であり誇張だから、シュルレアリスムは現実の表現の一つにほかならない。ある場所において、何かと何かが出合う可能性は無限のはず。頻度の高い組み合わせが当たり前になってきただけの話ではないか。

花札の二月も都々逸も「梅に鶯」だが、ぼくの居住圏では「梅にメジロ」しか見たことがない。子どもの頃から親しんだ花札には定番のマッチングやペアリングがある。たとえば、一月の「松に鶴」は掛軸に多く描かれているし、落語の笑福亭松鶴を思い出す。三月の「桜に幕」は花見光景、また、八月の「すすきに月、芒にかり」や十月の「紅葉に鹿」などもいかにも「らしい」。

他方、シュールっぽいのもある。五月の「菖蒲に八つ橋」、九月の「菊に盃」、十一月の「雨に柳と小野道風」、十二月の「桐に鳳凰」等々。すべてにエピソードがあり、知ってしまえば納得できるが、知らずに組み合わせの絵柄だけを見ればかなりシュールである。定番や常識の世界にシュールが現れてドキッとし、何度も見ているうちに慣れてきてシュールが不自然でなくなる。シュルレアリスムが現実や常識とつながっている証拠である。

独り占め

ずいぶん前の話。たまたまデパートに行く用事があった。頼まれていた恵方巻はいつもの商店街で買うつもりだったが、ついでだからここでもいいかと思い、地下へ降りた。寿司を売る店が2店舗並ぶ。どちらの店も初めて。海鮮巻1,000円と値段は同じ。海鮮の具の違いはわからない。こんな場合、どっちの店で買うかは多分に気まぐれだ。

しかし、買って来てくれと頼まれた中高年男性をターゲットにするなら、巻いてある海鮮の具が「鰻、いくら、数の子」と表示してあるほうが、表示していないよりも訴求力がある。他に差異化できることがあるなら、何もしないよりも何かを書くほうがいい。遊び心で、そんな恵方巻のコピーを考えたことがある。

節分の宵に 恵方を向きて もの言はず 巻寿司一本
丸かぶりの 習はしあり 願ひ事が叶ふ と伝え聞く

見た目も値段も同じなら先に覗いた店で買うだろうが、十人に一人を引き寄せるちょっとした工夫があるはず。


恵方を向く……何も喋らずに丸かぶり……。儀式などに関心はないが、巻寿司一本が割り当てられる少年少女は、恵方だけに「まれた々」である。ぼくらが子どもの頃は、巻寿司はカットして兄弟でシェアした。兄弟の数に比例して寿司は薄切りになったはず。一人であるだけすべて食べて誰にも与えないのが独り占めだが、たとえ一本でも、誰かとシェアしないなら、独り占め気分に浸れる。

父のパチンコの戦利品の板チョコ一枚をいつか一人で食べたいと思っていた。兄弟で公平に分けようとするから溝できれいに割るのだが、一人一枚なら溝など無視して斜めに割ったり、割らずに丸かじりしたりできる。独り占めは人の本能でありさがなのだろう。大人も子どもも関係ない。一人で食べることにはいくばくかの罪悪感もある。だから、たいてい黙って頬張る。もの言わずに恵方巻を丸かぶりするのもその流れに違いない。

ものすごくうまい手土産をもらったが、お裾分けが面倒なので、独り占めしてこっそり食べることがある。堂々と食べるよりもこっそりと食べるほうがおいしい。禁断の美味度が増す。みんなで食べると「おいしいなあ」と言って終わるだけだが、独り占めすると「あいつらはこの味の良さがわからんだろう」などと生意気が言える。こうしてうまさはさらに倍増する。

「みんなでワイワイと食べるほうが楽しい」という主張がある。たしかに楽しいかもしれない。しかし、十分に味わえているとはかぎらない。独り占めしているという意識で一人で食べるほうが間違いなくおいしい。だから、おいしい食事をしたいのなら一人に限る。『孤独のグルメ』とはそういう意味である。

少年は鞄を踏んづけた

今は亡きご本人が、数年前にぼくに語った少年時代の話。


少年は地方都市の裕福な家庭で育った。父は地元で顔のきく人だった。父系か母系か聞き逃したが、祖父母は戦争が始まる前、海外で暮らしていたようだ。時代は終戦直後、話し手自身が小学校に入学した頃である。

小学校に通う時の必需品と言えばランドセルや鞄。終戦直後に皆が皆ランドセルを背負ったかどうか知らない。ともあれ、ランドセルの児童が多かった中で、少年が親から与えられたのは鞄だった。しかし、自分のは「標準」ではなかった。つまり、同級生たちが持っているのとは違っていた。背負うのではなく、手に携えて通学した。

いじめられたり仲間はずれにされたりしたわけではないが、少年は鞄がまったく気に入らなかった。ランドセルにしたいという希望も親に告げたが、その鞄はランドセルよりも高価で丈夫なんだからたいせつに使いなさいと言われるばかり。少年はわけのわからない柄の入った手提げの鞄が嫌でしかたがない。早く壊れてほしいと毎日願っていた。


学校と家の往復、わずか数十分持つだけだから、願いに魔法がかからないかぎり壊れるはずがない。乱暴に扱えば早く壊れると少年は考え、帰り道に公園の遊具の高い場所から落としたり、取っ手を引っ張ったりした。ついにある日、地面に投げつけて両足で踏んづける暴挙に出た。そして、傷みがひどくなり使えなくなるようにと、来る日も来る日も繰り返し繰り返し容赦なく踏んづけた。

とは言え、小さな子どもが全体重をかけて踏んでもたかが知れている。鞄はびくともしなかった。その鞄はそれほど丈夫だったらしい。結局その先、高学年になっても使い続けた、いや、使い続けるしかなかった。当時その鞄は珍しく(だからこそ嫌だったのだが)、持っている人を見かけたことは一度もなかったらしい。

やがて少年は成人して働き始め、中年になった。その頃になると、地方都市にもファッション化の波が来た。話がそのくだりになったところで、少年、いや、すでに七十半ば過ぎの知人は次のように話を結んだ。

「ある日、自分が幼い頃に持っていたのと同じ柄の鞄を見たんだよ。三十歳前後のおしゃれな女性が持っていた。早速その柄のことを誰か知らないか職場で聞いてみたよ。念のために調べてもみた。綴りはLouis Vuitton、そう、あのルイヴィトンだった。たまげたなあ。7歳男児が毎日公園でルイヴィトンを踏んづけていたんだ。

居場所と行き場所

「芸」が「地」になり、地になった芸に不自然さを感じなくなると、その人に名人を見る。技だの能だのと言っているあいだはまだまだ浅いのだろう。確固とした地になった芸を見る機会が少なくなった。

昔、高座で腰を左へ右へ交互に動かしたりお尻を浮かせたりして噺する桂米朝を見て、誰かが「師匠、あの動きは芸ですか?」と尋ねたところ、「いや、あれは地(痔)や」と言ったとか。

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人には居場所と行き場所の両方がいる。往ったり来たりしながら、行き場所が居場所になるのを目指してきたが、未だ道遠し。そうそう、一つになるのがよいと言う人もいれば、いやいや、別であってもいいと言う人もいる。

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パノラマも見ごたえがあるが、窓というフレームを一つ加えてやるだけで趣と文脈が変わる。窓の内側の今いる場所と窓の外の景色、いずれが主役か脇役かなどという分別がなくなる。何の変哲もない窓をフレームにして対象をトリミングするだけで、たぶん一つの芸になる。

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異国情緒は、自然に対して湧き上がる時よりも、街に佇む時のほうが強くなる。建築、公園、広場の存在が大きいせいだが、固有の情緒を一番顕著に醸し出すのは行き交う人々の姿である。どんなに見慣れても、彼らは自分の居場所にはいない人々である。

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景観は街の芸である。以前滞在したパリのマレ地区に本屋兼文芸パブがあった。面していたのがブルジョア通りで、店構えはその名に合っていたような気がする。店が街に合わせて外装をコーディネートしたわけではない。懐の深い街があの建物や他の諸々の建物を清濁併せ呑んでいた。そして常連は、行き場所を居場所にしてくつろぐのである。

旅に出て着いた所が行き場所。滞在するホテルやアパートは行き場所だが、まもなく居場所になる。その居場所から街中に出て次に別の行き場所を探す。行き場所を居場所に変えていくことと芸を地にしていくことはよく似ている。いや、同じことかもしれない。

七月のレビュー

二月、三月からあっという間の感覚で今日に至る。百数十日を振り返れば、日々微妙な陰影があったし凹凸もあったにもかかわらず、無念なことにコロナが諸々を一括りにしているかのよう。久しぶりに会った知人との共通の話題もそれだけだった。とりわけ七月は独占された。わが日々はコロナだけじゃないぞという証を記録しておかねばならない。


人混みの多い観光地は苦手だが、コロナを逆手に取って――おそらく四半世紀ぶりに――嵐山へ出掛けた。ピーク時の賑わいからすれば、かなりの閑散ぶりだと聞いた。福田美術館の若冲展は要予約の入場制限。気持ちは複雑、しかしゆっくり鑑賞できた。

帰りに天龍寺に寄ってみた。ちょうどよい咲き具合の蓮をテーマに撮ったところ、そぼ降る小雨が描く水紋が粋な演出をしてくれた。

昨年の暑さは凄まじかった。毎日の35℃越えは当たり前、出張先では38℃に苦しめられもした。それに比べれば、今年は過ごしやすかった。エアコンに依存しない、こんな七月はあまり記憶にない。

ふらふらになってから水分補給しても熱中症対策にならないように、へばってからスタミナ食を摂っても間に合わない。八月対策の転ばぬ先の杖はもつ鍋。使ったの小腸のみ。韓国風ではなく和風味。自家製なので〆のうどんは最初から入れる。

地元大阪の公的イベントはほぼすべて中止になった。例年5件ほどの事業プロポーザルの審査員を仰せつかるが、今年はあるはずもないと先読みしていろんな予定を入れていた。ところが、声が掛かった。御堂筋イルミネーションは三密にはならないし、むしろこの状況だからこそ光と輝きで祈り、癒し、励ます格好のイベントになるのではないか……という次第で、急遽開催が決まったのである。

審査会場の1階の、亀がゆっくりと泳ぐフロア・プロジェクションが微笑ましかった。

普段着の半袖のシャツを着ないわけではないが、夏でもシャツは長袖を着ることが多い。特に、冷房の強い電車に乗ったり美術館やカフェで長居したりしそうな時は決まって長袖。袖の長さで温度調整するためだ。

にもかかわらず、珍しく半袖のシャツを買った。生地を裏使いした仕立て。表地はぼくには派手だが、裏地なら着れそうだ。なお、リバーシブルではないので、表地・裏地と言っても意味がない。「さりげなく表地がちらっと見えるのがおしゃれ」と女性店員は言ったが、そのためには二つ三つボタンを外さねばならず、逆にわざとらしくなるのではないか。


記憶と認識

3月、4月、5月と会議や打ち合わせや対話がなく喋る機会が激減したので、口はマスクで封印され黙して語らず。今月に入って来客を迎えて34人による打ち合わせを3回おこなったが、喋る勘が戻らない。頭は言語を覚えているが、筋肉が発声に戸惑っている。

3月、4月、5月は受注していた仕事が流れたり、延期になったり、テレワークの多い先方の都合で遅延したり。仕事はさほど減っていないが、予定が立たなくなった。仕事が動くのか止まったままなのか、その日の朝にならないとわからない日々が続いた。

6月中旬になって、ようやく動き出した。しかもすべてが同時に。複数の仕事をこなせるのはタイムラグがあるからだ。1週間や半月のズレを利用できるから何とかやりくりできるのである。ところが、今回ばかりは一斉に再起動である。この数年でもっとも慌ただしい日々になっている。数カ月ぶりに再開する仕事をどこまで進めていたのか、うろ覚えである。再開までのリハビリにも時間を要する。


マスクをしていない男性が向こうから歩いてきて、マスクをしているぼくの方を見ているような気がした。ぼくの横を通り過ぎるまでぼくを見ていたように思ったし、軽く会釈したようにも見えた。見たことのない顔なのだが、もしかするとどこかで会っているのかもしれない。

ぼくはその人の顔を知らない。しかし、その人はぼくのマスクをしている顔を知っている。ぼくはその人のマスクをしている顔なら見ているかもしれない。そして、その人はマスクを外すぼくの顔も知っているに違いない。いったいどういうことかと想像していくと、マスクを外さない歯医者とマスクをしたりマスクを外したりする患者との関係がこれに当てはまることに気づいた。記憶があっても認識できないということはよくあることだ。

お互いマスクをしての初対面だと、マスクを外して道で出くわしても認識できずに通り過ぎるだろう。そもそも道で通り過ぎる人々のほとんどの顔は初めて見る顔である。つい先日会ったのに今は知らん顔して通り過ぎる。ぼくたちは顔をどの要素――または要素のどんな組み合わせ――によって個人を認証しているのか。マスクの有無で顔認証は大いに異なるはずである。

と言うわけで、初対面の人とはマスクを外して数秒間顔を真正面で見せ合い、その後マスクを着けて名刺交換することにしている。目は口ほどに物を言うというが、目だけでは顔認証はできそうもない。

テイクアウトで考えたこと

行きつけの店に「テイクアウトできます」の貼紙、初めて見る店のドアにも同じ文言の貼紙。どこもかしこもテイクアウト。店内飲食不可でもテイクアウトならできる。

以前「テイクアウトは和製英語です」と英語通の知人が言った。別の英語通の所見は「あちらではあまり使わないけれど、何とか通じますよ」。ぼくはと言えば、カリフォルニア州に旅した折りはすべて店内飲食だったので、持ち帰り経験がなく、はたして「テイクアウト」が伝わるかどうか知らない。もし持ち帰ろうとしていたら、おそらく“to go”という一般的な表現を使っただろうと思う。

ともあれ、わが国では「ツーゴー」などとは言わずにテイクアウトが定着した。ちなみに、「こちらでお召し上がりですか、お持ち帰りですか?」という英語――”For here or to go”――を最初に知った時、妙なことを妙な言い回しで尋ねるものだと思った。本格的な料理店で入店するなりこんなことを尋ねられるはずがない。こういう尋ね方はハンバーガーショップから始まったに違いないと睨んでいる。


食べるつもりで店に行ってはみたが、気が変わって持ち帰ることにした。この時のテイクアウトは、店で出している料理と同じものを持ち帰るという意味のはず。たとえば、近くのカオマンガイの店では店で食べるのと持ち帰るものは、容器以外はほぼ同じである。ところが、コロナ禍で自粛し始めてからは、ほとんどの店では店内メニューに載っていない持ち帰り用の弁当を作ってテイクアウトと称している。あるうどん店はメニューにない「とり天丼」を店頭で持ち帰り用に販売している。テイクアウトではなく、最初から弁当と言えばいいではないか。

ピザ屋と自宅はピザの冷めない距離なので、テイクアウトしても味に大差はない。トンカツやハンバーグ定食のテイクアウトも店内メニューとさほど変わらず、持ち帰って皿に盛れば格好はつく。ただ残念なのは、店内なら付いてくる味噌汁がテイクアウトには付いてこないという点。やむをえない。

「寿司、テイクアウトできます」――そんな貼紙を出さなくても、スーパーに行けば、寿司はすべてテイクアウトではないか。オヤジが日本酒でちょっと寿司をつまみ、帰りがけに家族用に一合折か二合折をお土産にしたのが昔からの寿司屋。寿司折を手に帰宅する波平やノリスケの姿が浮かぶ。

先日寿司屋に寄った。店は空いていたが、自粛癖がついているので、二合折を持ち帰ることにした。「ご新規さん、テイクアウトで!」という声に大いなる違和感を覚えた。寿司にテイクアウトという言い方は合わない。お土産か、せめてお持ち帰りと言ってもらいたい。二千円ほどの寿司が八百五十円に格下げされた気分。

「まるで絵はがきみたい!」

観光旅行中にナイアガラの滝を眼前に見た日本人女性が「わぁ、まるで絵はがきみたい!」と感嘆の声を上げた。

実際の風景を眺めたりその風景の写真を見たりして、「まるで絵はがきのようだ」と比喩する人がいる。なぜ自然の風景を見て、わざわざ絵はがきという二次的に再生されたものに譬える必要があるのか。絵はがきみたいとは、そこに写る対象が自然そのものという印象を語っているのか。

また逆に、画集に一枚の絵を見て、それが自分の目で見たことがあれば、「実景そっくりだ」と感嘆する人もいる。その作品の画家は、実景を写実的に描いたわけだから、ある程度そっくりであることに不思議はない。なぜわざわざそこに実景のことを持ち出す必要があるのだろうか。


有島武郎の『描かれた花』と題された随筆を読んでいたら、次のようなくだりがあった。

巧妙な花の画を見せられたものは大抵自然の花の如く美しいと嘆美する。同時に、新鮮な自然の花を見せられたものは、思はず画の花の如く美しいと嘆美するではないか。

絵から入れば実景を持ち出し、実景から入れば絵を持ち出す。絵の感嘆にしても、風景の感嘆にしても、感嘆に値する適切なことばが見当たらない時に、どうやらそのような比喩を使うらしい。

実際の対象とそれを題材として描いた絵との関係に、人はそれぞれの感慨を抱き、似ているとか似ていないとか、絵のほうが実物よりも美しいとか、いや、絵は実物の美しさには及ばないなどと評する。

有島武郎は随筆の別の箇所で「人間とは誇大する動物である」と言っている。誇大には程度はあるが、芸術作品としての絵は実際の対象以上に誇張されてこそ意味を持つような気がする。似顔絵などその典型で、誇張ゆえの作品価値である。本物とまったく同じに再現する腕は望むべくもないが、本物とまったく同じであっては作品に勝ち目はない。

十数年前にヴェネツィアに旅した折りに、運河をスケッチし、帰国後に写真を見ながら着色したことがある。何枚か描いてみたが、ヴェネツィアの運河を感じさせない。思い切って原画をデジタル的にいじってみたのがこの一枚。原景をとどめない誇張であり歪曲であるが、ヴェネツィアらしさが出たのではないかと思っている。

マスクとまなざし

まなざしや顔つき――突き詰めれば〈ペルソナ〉――は、平時と有事で異なる。平時では、目を中心とした顔がふつうに見え、表情がわかりやすい。他方、最近のようにマスク装着が常の有事になると、顔全体が見えないので表情のニュアンスが感じ取れない。

「目は口ほどにものを言う」はおおむねその通りだと思うが、鼻も口も、さらに顔全体が見えて輪郭もはっきりしているからこそだ。見えるのが目だけだと眼力めぢからばかりが際立って、表情が窺いづらく不気味さを感じることがある。


先日、輸入食料品店でこんな出来事があった。

通路がいくつもあり、探している商品の棚がすぐに見つからなかった。通路を順に覗き込んで移動し、それらしい棚が並んでいる通路に足を踏み入れたところで、マスク姿のぼくの視界に熟年男性が入った。男性はマスクをしていない。

目が合ったわけではない。男性をまじまじと見たわけでもなく、男性の立つ前の棚のパスタに視線を向けただけだ。いきなり男性がぼくに向かって「何か用か?」と言った。まるで万引き寸前の男が見つかる前に先制攻撃するかのような口調。この時点で目が合った。厳しい目つきである。手に商品をいくつか持っている。

お目当てはパスタだから、男性に関わる気はない。こっちが動じる理由もないので、男性に近づき、丁寧かつ穏やかにこう言った。「あなたを見ていないし、あなたに用もありません。今夜の食材を探しているだけです」。

マスクをしている時の目、そのまなざしは、見られる側からすると自分に向けられているように感じるのだろう。そのことは自分の立場になればわかる。道で向こうから歩いてくるマスクの顔の目という目のすべてが自分を見ているように思ってしまう。明日への見通しも、人どうしのまなざしも焦点が定まりにくい今日この頃である。