二月、三月からあっという間の感覚で今日に至る。百数十日を振り返れば、日々微妙な陰影があったし凹凸もあったにもかかわらず、無念なことにコロナが諸々を一括りにしているかのよう。久しぶりに会った知人との共通の話題もそれだけだった。とりわけ七月は独占された。わが日々はコロナだけじゃないぞという証を記録しておかねばならない。
人混みの多い観光地は苦手だが、コロナを逆手に取って――おそらく四半世紀ぶりに――嵐山へ出掛けた。ピーク時の賑わいからすれば、かなりの閑散ぶりだと聞いた。福田美術館の若冲展は要予約の入場制限。気持ちは複雑、しかしゆっくり鑑賞できた。
帰りに天龍寺に寄ってみた。ちょうどよい咲き具合の蓮をテーマに撮ったところ、そぼ降る小雨が描く水紋が粋な演出をしてくれた。
昨年の暑さは凄まじかった。毎日の35℃越えは当たり前、出張先では38℃に苦しめられもした。それに比べれば、今年は過ごしやすかった。エアコンに依存しない、こんな七月はあまり記憶にない。
ふらふらになってから水分補給しても熱中症対策にならないように、へばってからスタミナ食を摂っても間に合わない。八月対策の転ばぬ先の杖はもつ鍋。使ったの小腸のみ。韓国風ではなく和風味。自家製なので〆のうどんは最初から入れる。
地元大阪の公的イベントはほぼすべて中止になった。例年5件ほどの事業プロポーザルの審査員を仰せつかるが、今年はあるはずもないと先読みしていろんな予定を入れていた。ところが、声が掛かった。御堂筋イルミネーションは三密にはならないし、むしろこの状況だからこそ光と輝きで祈り、癒し、励ます格好のイベントになるのではないか……という次第で、急遽開催が決まったのである。
審査会場の1階の、亀がゆっくりと泳ぐフロア・プロジェクションが微笑ましかった。
普段着の半袖のシャツを着ないわけではないが、夏でもシャツは長袖を着ることが多い。特に、冷房の強い電車に乗ったり美術館やカフェで長居したりしそうな時は決まって長袖。袖の長さで温度調整するためだ。
にもかかわらず、珍しく半袖のシャツを買った。生地を裏使いした仕立て。表地はぼくには派手だが、裏地なら着れそうだ。なお、リバーシブルではないので、表地・裏地と言っても意味がない。「さりげなく表地がちらっと見えるのがおしゃれ」と女性店員は言ったが、そのためには二つ三つボタンを外さねばならず、逆にわざとらしくなるのではないか。