習作した頃 #2

犬と猫の夜語り犬と猫の夜語よがた

 

 

世には犬をうとましく思ふ者があり、猫を毛嫌いする連中もゐる。人といふのは身勝手なもので、己の度量と器量の無さを棚に上げてゐるくせに、やれ犬はこれこれ猫はかれこれだと、些細な欠点に目くじらを立てては大仰に騒ぎ立てる。これ即ち当世の習はしのやうである。

占い師に犬は貴家の相には合はぬ、八卦見に猫は不吉なりなどと告げられると、主人は手のひらを返して昨日の友を今日の敵のやうに扱ひ、何事をもはばかることなく平気な顔をして見捨ててしまふ。飼ひ主に手を噛まれた挙句、住み家を失つた犬猫諸君は、もの悲しげな鳴き声を交わしながら、朝な夕な一つ処に身を寄せ合つてゐるさうな。

雲行きの怪しいある日の夕暮れ時、淋しい表情を浮かべた新入りの犬君に向かつて猫嬢がささやいた。

「あなたもお気の毒なお方ね。わたくしたちは、ついこの前まであれほど幸せさうなあなたを見て羨ましく思つてゐたのですもの。」

「世の常なのでせう。若主人が妻をめとられ、お仕えする方が一人増えたと喜んでゐたら、その嫁は大変な犬嫌ひ。猫なら愛らしいが、犬はどうにもかうにも好きになれぬと主人に泣きついた。その一言で、数年来お供してきたぼくは追ひ出されてこの有様。情けなくて涙も出なかつたといふ次第。」

「わたくしもさうだつたのです。うちの主人は一人暮らしのご隠居さん。それはそれはわたくしをよく世話してくれましたわ。ところが、先日、家に泥棒が押し入つた折り、わたくしときたら見てゐるだけでどうにもできなかつた。隠居さん、帰つてきてびつくり仰天。後生大事にしてゐた掛け軸が盗られてゐたのです。それからといふもの、猫は役立たずだ、犬なら吠えて用心になつたのにと八つ当たり。放り出されはしなかつたけれど、居たたまれず家を後にしたのです。」

「可哀さうに……。」 犬君は目を合はせることができずうつむいた。

ちやうどその時、空が突然真つ暗になり大粒の雨が降り始めた。雨は激しく軒先を叩き耳をつんざいた。互ひの声は土砂降りの雨音に掻き消されて聞き取れない。犬君と猫嬢は語り継ぐ言葉を失ひ、黙つてそれぞれの昔を懐かしんでゐた。

雨が小降りになるのを見計らつて、猫嬢が口を開いた。

「ねえ、捨てる神に拾ふ神と云ふぢやありませんか。あなたとわたくし、互ひの古巣を取り換へるのはいかがでせう。」

「取り換へる……。」 犬君、意味を解せず、不思議さうに猫嬢の顔を見つめた。

「さう、何となく迷つた振りをして庭へ入り込むのですよ。どう転ぶかわからないけれど、もしかするとうまく行くかもしれないわ。だけど下心を見抜かれないやう用心は必要です。」

「なるほど。猫嫌ひになつた隠居さんちへぼくが行き、犬嫌ひのうちの若主人ちへあなたが行く。これはやつてみる値打ちがありさうです。」

「雨宿りを装ふには願つてもない吉日。では早速……」と言ふや否や、猫嬢は路地の塀を身軽に乗り越へて屋根向かうへと消えた。犬君も表通りに出て隠居の家の方へと駆け出した。

その日から幾日かが過ぎた。犬君も猫嬢も首尾よく後がまに居座つて幸せに暮らし始めた様子である。

さらに幾日かが過ぎた晴れた日の夕刻。猫を腕に抱へた女と犬を連れた老人が路地で出くわした。互ひの生き物に一瞥をくれて、おのおの心中冷ややかに呟いた。

(まあまあ、うちの捨て犬を連れて町ん中をお歩きだなんて……。物好きな方もおありだこと。)

(ほほう、あの薄情猫か。小汚いのを大事さうに抱いてゐるわい。ほどなく泥棒に空巣狙いされやう。)

犬君も猫嬢も飼ひ主二人の想ひを見透かしたのは言ふまでもない。犬君、夕闇の満月に向かつて「わおぅぅぅん」と誇らしげに吠へ、猫嬢、甘い声で「みやぁぁぁお」と鳴いて応へた。

岡野勝志 作 〈1970年代の短編習作帖より〉

殺し文句のダウンロード

「殺し文句」という言い回しは今ではほぼ一義的に使われるようになった。相手の心を引きつける巧みな表現という意味が主流である。殺しとは物騒だが、ほろりとさせたり「グッときた」と思わせたりすること。どちらかと言えばニュアンスは肯定的だ。「彼のその一言は彼女にとって殺し文句になった」と言えば、「彼女にアピールした」という意味になる。

しかし、殺し文句の本筋の意味は、英語の“killer”がそうであるように、「抹殺」に近い。行動や判断を束縛することば、固定観念を植え付けてしまうことばなのである。殺し文句は他人のみならず、自分自身にも良からぬ影響を及ぼす。つぶやき続けると、知らず知らずのうちに「参ってしまう」。ほろりと参ってしまうのではなく、にっちもさっちも行かなくなって参ってしまう。

只管朗読の効果をいくつかの外国語学習で経験してきたぼくである。ひたすら文章を音読すれば語彙も文章の構造も身につく。唇が、舌が、口腔内から咽喉にかけての筋肉が言語を覚え、ひいては全身に語感が響くようになる。だから、ことばが不思議な力として作用すると言われる念仏効果を単なる霊的なものであるとして退けることはできない。もし念仏に有効性があるのなら、自らに向かって日々ネガティブな殺し文句を繰り返し発していると、考え方や行動に好ましくない形で刷り込まれていくことは容易に想像できる。

殺し文句のダウンロード

ことばに真摯に向き合えばわかることだ。一方で、己を励ましてくれることばがあり、また嫌な気分を浄化してくれることばがある。それなら逆に、気分を滅入らせ行動を不活性にする殺し文句があって不思議はない。このことに気づいておけば、そんな危ないことばの出番を制限できる。しかし、常用が癖になると正常な精神作用が蝕まれていく。いったんダウンロードしてしまったら蔓延し続けるウィルスソフトのようなものだ。


たとえば、「未熟ものです」とか「まだまだ学びが足りません」などと謙遜しているつもりなのに、これらの軽いことばが劣等感を徐々に強めていく。やがては熟練し学び遂げるまでは行動しないという習性が宿り始める。あるいは、「できるかぎりのことはしました」とか「時間と努力が足りませんでした」などの口癖は、明けても暮れても言い逃れする人間を仕立て上げてしまう。軽い気持ちから発していても、「別に急がなくても」や「もっとよく考えてから」などは先送り人間のパターンを形成する。ぼくの知り合いは「リスク、トラブル、批判」を怖れるあまり、それらを避ける防御線をいつも張り巡らしていた。その結果、すっかり引っ込み思案の臆病者になってしまった。

上記のようなことば遣いがまさか……と思うかもしれないが、実は、十分に殺し文句の資格を満たしている。負の念仏効果、恐るべし。気がついた時には取り返しがつかなくなっている。悪しき口癖が、偏った考え方や非常識的な行動を招く。フランシス・ベーコンは、歪んだ判断や思い込みのことを〈イドラ〉と称し、人間誰しもが陥りやすい4つのイドラがあると指摘した。

その一つが〈市場のイドラ〉である。市場とは人々が集まり交わる社会もしくは集団と考えればいい。そこではことばが飛び交い、検証不十分のまま文字面の表現が鵜呑みにされる。事実無根の噂が流れ、流れた噂に自分が流され惑わされる。やがて自らの内に偏見や先入観を培養することになる。

言語は知である。ベーコンも「知は力なり」と言った。つまり、言語は力なのであるが、他方、使い手次第では負の力となって思い込みを深めることがある。「口は災いのもと」などという意味ではなく、悪しきことばを繰り返し常套句として使っているうちに、自己暗示や洗脳が起こってしまうのである。ならば、良きことばを使えばいいということになるが、これは短絡的な発想である。うわべだけの「やればできる」も実力を伴わない「頑張ろう」も、その気にはなるだけで行動が空回りという結果になる。これらは「褒め殺し文句」になりかねない。なにげなくつぶやいている日々のことばが性格をかたどる。人に告げることば、自らに言い含めることばに責任を持たねばならないのである。

習作した頃 #1

うず


彼は古書店でフランス語の短編小説集を手にした。そして、本をめくっているうちに偶然この一編を見つけた。自ら体験した現実が小説になっているのを知って彼は驚愕し打ち震え、その震えはしばらく止まらなかった。著者は彼には聞き覚えのない名前だった。

『トゥールビヨン公園』と題された原作。題材となったエピソードはトゥールビヨンの街の人々にはよく知られていた。しかし、二人称で展開されるこの小説が書かれてからは誰も実話だと思わなくなった。やがて市民たちは、これは実話ではなく作り話なのだと自らに言い聞かせるようになったという。

トゥールビヨンの街には楕円形をした公園がある。樹林が繁り花壇がよく手入れされ、ベンチも十分に据え付けられている。週末や日曜日には、小市民的生活に充足している人々がやってくる。誰もが幸せそうに見える。そう、きっと幸せに違いない。確信はないけれど、たぶん幸せだろう。でも、時々つらいことや嫌なこともあるはず。いや、もしかすると幸せそうな顔をした不幸な人がいるのかもしれない。

ところで、きみは仕事を嫌悪し始めていた。小手先の作業はさほどでもなかったが、大きな負荷がかかる職務には耐えがたくなっていた。単調で平凡な仕事で十分だった。そのように雇い主に申し出ればよかったが、心の中で訴えるばかりで、口には出さなかった。仕事が嫌になり始めると、私生活がおもしろくなくなってきた。きみに家庭があったわけではない。私生活とは個人生活にほかならなかった。ともあれ、白紙であることが許されない、色塗られた時間の刻一刻が大きな負担になってきた。

こうして、きみはもはやこれまでのきみではなくなった。知人や友人と会うのが嫌になった。読書が嫌になった。大好きなカフェに行くのも嫌になった。話すのが嫌になったし、あくびをすることすら嫌になった。指を動かすことも、まばたきすることも嫌になった。
そして、いま、ついに生きることもなんだか嫌なことだと思い始めている。

しかし、いろんなことが嫌になったからといって、生きることだけは嫌になってはいけないだろう……むろん生活の中の小さな不快すら許せないけれど、嫌な気分を自覚できているのは生きている証だし、何から何まで懐疑しても、その懐疑している自分だけは疑いようがない……なんて、まるでルネ・デカルトのようだ……でも、我思うゆえに我ありという具合にはいかない……。独りであれこれ悩んでもはじまらない、こんな時はたぶん誰かに意見を求めるべきなのだろう……こんなふうにきみは考えている。

それでも、顔見知りに相談する気は起こらない。きみは、知り合いが本音で語ってくれるとまったく思わない。むしろ、見知らぬ人たちのほうがよほどいいはずだと思い、相談を持ちかける場所をトゥールビヨン公園にしようと決めるのである。

きみはトゥールビヨン公園の入口にやって来る。大勢の人たちが目に入ってくる。子ども連れの夫婦、ボール遊びに興じる少年たち、鳩にパンくずを与えている老人、巡回中の警察官、静かな樹林の方へ歩いていく若い男女、早足で歩く学生、ベンチに座って散歩人を眺める遊び人……。きみは無作為に相談相手を選ぶことにする。

大きめのベレー帽を深めにかぶった中年男がいる。ベンチの端に腰掛けて雑誌を読んでいる。

「こんにちは。いきなりで恐縮ですが、なぜ生きなければならないんでしょう?」ときみは尋ねる。

男は面倒臭そうに雑誌から目を離し、帽子を髪の生え際のほうへと突き上げた。

「それは、あなたね、雑誌を読むためだよ。死んでしまったら、このトゥールビヨン公園で雑誌を読めないからね」

男はあっさりとそう言ってのける。

「ありがとうございます。とても……」

きみが礼を言い終えないうちに男は雑誌に目を戻し、くすぐられたような笑いにのめり込んでいく。鳩が二羽、きみの足元に近づく。きみは無視する。

次にきみはバラの花壇づたいに樹林の中へ入ろうとしている若い男女の後を小走りに追う。

「こんにちは。失礼ですが、なぜ生き続けなければならないんでしょうか?」

とっさの質問に女が身構えて素早く男の背中へ逃げる。男は険しい目つきできみをきっと睨みつけ、威嚇するように胸を張る。

「恋のためだよ、恋の。恋のために生き続けるのさ。あんたにはわからないだろうけど……」

女が舌なめずりして喉で笑い、男は手首を振って、きみにどこかへ去れと合図をする。

「どうも……」

きみが軽く下げた頭を元に戻すと、二人はこれ見よがしに腕を組み直して樹林の奥へと消えていく。梢を微かに揺するそよ風がきみにも吹いてくる。だが、きみの感覚は反応しない。

しばらく歩いていくと、仔犬を連れた婦人に出くわす。飼犬だけを見るためにかけている眼鏡の輪郭で、その女が他人に無関心であることがわかる。しかし、質問をしてまずいわけはないだろうときみは思う。

「こんにちは。散歩中のところお邪魔して恐れ入ります。なぜ生きることはたいせつなんでしょうか?」

女はきみを無視し、鎖を引っ張る飼犬の尻尾に目をやる。なおもきみは同じ質問を繰り返す。女は絶望的なため息をつき、ヒステリックに語気を荒げる。

「できるかぎり人間から離れて、犬と暮らすためにたいせつなのさ。あんたみたいな野暮な男を憎むためにも生きなきゃならないんだよ。わかったかい!?」

そう言うなり、女は声のトーンを淫らに落として続ける。

「それとは関係ないけどさ、あんたね……くだらない男に抱かれるよりは、ふふ、犬を抱くほうがよほど快楽的なんだよ」

女が喋っているあいだに仔犬は花壇に入り込もうとしている。仔犬の後を追いながら女は叫ぶ。

「ひとりで逃げないでおくれ、あたしも一緒だよ!」

仔犬が甲高く鳴く。しかし、きみにはその鳴き声はほとんど聞こえていない。

こうしてきみはトゥールビヨン公園で休日を過ごす人たちに次から次へと同じ質問を繰り返していく。そのつど反応は様々だが、誰もがなぜ生きるのかについて明快に語る。きみは不思議な気分になっている。これといったたいした理由もないくせに、なぜ精一杯生きるのかを誰もが追求しているんだ……きみはそう思い、ほんの少しだが、励まされたような気がし始めている。

トゥールビヨン公園の光景を振り返り、緑と人々を覆っている透き通った青い空を確かめ、さほど強くない陽光に後押しされるようにして、きみは出口付近へ戻ってくる。小さな雲がやけに目立つ。

そこにはきみと年格好の似た、表情の暗い男性が立っている。だだっ広いトゥールビヨン公園を見渡しているが、焦点の落ち着き場所が見つからないらしい。男性の視線がちょうどきみのいる場所で止まる。虚ろな目がきみに焦点を合わせると、男性はゆっくりと歩み寄ってくる。そして、おどおどした声を絞り出してきみに話しかける。

「お急ぎのご様子ですが、いいでしょうか。一つ質問があるのです。なぜ生きなければいけないんでしょうか?」

不意をつく問いにきみは一瞬困惑する。だが、もうすっかり言い慣れた問いなので、すぐに冷静さを取り戻す。しかし、いざ答えようとしても、言葉が口をついて出てこない。言い慣れはしているが、聞くのは初めてで、しかもその問いには一度も答えたことがないからである。

長く考えては相手が気の毒だと思い、きみはさほど深く考えず、しかし少しよどみながら告げる。

「なぜ生きる……その必要性……と言うことでしょうか……。そうですねぇ……特に……ないのかもしれない……」

渦 

軽いつぶやきのつもりだったが、男性には衝撃を与えたらしかった。なぜなら、消え入りそうな声で「やっぱり、そうでしたか」と言うなり、男性は突然きみの目の前で、小さな、けれども、力のある渦に変化したからである。その渦はどうやら男性のこらえ続けてきた溜息のようであった。きみはあまりの急激な変化に驚き、反射的に地面に伏せなければならなかった。それほどその渦は激しく巻き上げ始めていた。

渦はますます大きく膨らみ、たちまちのうちにトゥールビヨン公園の出口付近から楕円形の中心方向へと広がり吹き荒れた。ぐるぐると回転しながら、そこに居合わせている人たちの溜息を吸収し、決して衰えることなく地面を烈しく撫で続けた。

だが、見た目ほど渦は破壊的ではなかった。きみはその渦の中でしばらく身を伏せていた。きみの皮膚感覚は、そこが静寂で平和な世界であることを冷静にわきまえていた。鳩がせわしなく地面をつつき、渦の風で梢がざわめき、そして犬が相変わらず甲高く鳴いていた。

岡野勝志 作 〈1970年代の短編習作帖より〉

未来へ逃げる人々

先月に書いた「明日はあるのか?」の続編。

現実逃避は現実を苦しいもの、厳しいものと考える人たちに生じるのであって、現実に向き合い、過去の経験を振り返る人たちにとっては無縁である。では、現実から逃避する人たちはいったいどこへ行くのか。酒に手を伸ばして陶酔の世界に向かう人がいるだろう。また、感情の水面をたゆたいながら自分世界に引きこもる人もいるだろう。そして、大多数は今日の結果を見届けずに未来という仮想世界に手っ取り早く心を馳せる。いずれの世界へ逃れても、行く末が見えないという点では不安は残る。だが、その代償として何も見えないからこその安らぎが手に入る。酔いはいずれ醒め、引きこもりも続かない。現実逃避者にとっては定まらぬ未来こそが永遠の安息場所に見えてくる。

生きることができるのはこの瞬間だけである。英語には、今に生きるという意味の“live in the present”という表現と並んで、“live in the past”という言い回しがある。過去に生きるという意味だ。昔ながらに生きるというニュアンスがある。過去を引きずり、思い出に浸って昔のことばかり考えて生きるという意地悪な解釈もできる。そんなふうに生きてくよくよばかりする人に“Stop living in the past!”と励ます。「今を生きなさい」という助言である。過去を生き直すことはできないし、いつまでも懐かしんだり執着したりしてもしかたがない。しかし、過去を生きたことは事実であり過去は経験を通じて思い起こすことができる。個別な経験として振り返り今日に生かせる教訓を拾い出すことはできる。その過去と現在は間違いなくつながっている。

では、未来はどうか。未来は生きることも知ることもできない。未来に期待できるのは、過去からも現在からも逃げずに生きている人に限られる。ところで、トーマス・ジェファソンは「私は過去の歴史よりも未来の夢を好む」と言った。身の程を顧みずに異議を申し立てたい。未来志向と言えば頼もしいが、こういう考えが人を反省なき楽天家にしてしまうのだ。少なからぬモラトリアム人間を間近に見てきたぼくは、過去にも現在にも知らん顔して将来にツケを回す彼らの性癖にうんざりしている。ジェファソンのことばは己の励みになるかもしれないが、そんなふうに生きる者は周囲に迷惑をかけていることにほとんど気づかない。


人は未来を知りたがる。しかし、社会、科学、経済、文化……どの分野でもいい、どんな未来が出現するかを見通した先人がどれだけいたか。何百何千という予言のうち一つや二つは後々に偶然現実になったことはあった。だが、まぐれあたりに期待はできない。未来をいかに洞察しようとも、洞察の材料は現実と過去の記憶以外にはない。未来を知る有効な方法はそれだけである。ろくに今の現実を知りもしないぼくたちが未来を知ろうとするのは大それた話だ。ニコラス・ファーンの「人間を知ることができると主張するのは、無数の神話を信じ込んでいる人だけだ」(『考える道具』)という指摘は的を射ている。人間を知らずして未来を知ろうなどとは厚かましい。

過去・現在・未来という文字をじっくり眺めてみると、それぞれの本質がよく見えてくる。過去は「過ぎ去った日々」であり、現在は「うつつる日々」であり、未来は「いまきたらぬ日々」である。現実逃避とは、確実な過去の経験に見向きもせず、さらに確実な今に目をつぶり、一寸先の闇に逃げる生き方だ。言い換えれば、確実なものを信じもせずに不確実を信じる生き方である。今の自分を見失えば、未来に頼るしかなくなる。こうして、意思決定を迫られない子どものようなモラトリアム人間が出来上がる。

タブレット世界の未来

モラトリアム人間は、過去から現在に至る経験というなけなしの貯金を、未来行きのチケット代に使い果たしてしまう。しかし、そんなチケットが存在するはずもない。行先不明のチケットを誰が販売できるだろうか。未来は絵に描いた餅であり、今風に言えばタブレット画面上に錯視する幻影に過ぎない。わざわざ未来へ逃げるには及ばない。何もしなくても、未来は現実になろうとしていつも待ち受けているのだから。

企画の愉しみ

長年従事してきたので、企画についてある程度わかっているつもりである。しかし、仕事は多岐にわたり対象領域も広いため、「企画とは何か?」を簡潔に言い表わすのは容易ではない。ある業界ではプロモーションや広告のことを指し、別の業界では商品や政策がらみだし、また他の業界ではずばりイベントだったりする。つまり、「何々の企画」という具合にいちいち何々をトッピングをしないと中身が見えない。ありとあらゆる業界の様々な対象に共通するような企画をつまびらかにするのはかなり厄介なのである。

コンセプトだの立案だの、あるいは編集だの構成だのという術語――場合によっては広告業界から借りてきた専門用語など――を振り回しても、企画の輪郭は見えてこない。いや、むしろ、そんな常套語彙を使えば使うほど本質から遠ざかってしまいそうだ。と言うわけで、自分が扱っている企画の仕事を象徴的に描くことしかできない。ぼくにとって企画とは、文字通り〈くわだてる〉ことである。画とは近未来の図とシナリオであり、企てるとは、調べることではなく、考えることであり、ひとまず言語的に表現する仕事である。目指す成果は、現在の問題や機会損失を解決し、将来の課題や目標を実現すること、今日よりもベターな明日を叶えること、そのためのアイデアを捻り出すこと……。

企画の全貌は企画書によって明らかにする。話が複雑になるので、企画書の体裁や見栄えのことは棚上げしておくが、企画書とは「書きもの」だ。意図や内容がわかりやすく記述されていなければならない。わかりやすさは必要条件だが、できればハッとするような巧みな言い回しや新鮮味のある表現などの十分条件も備えたい。極論するなら、駄文が綴られた企画書は駄作の企画と見なされる。企画が優れているなら、必ずそれに見合った文章がしたためられてしかるべきである。「新しいワインは新しい皮袋に」をもじれば、「優れた企画は優れた文章で」ということだ。企画とその伝達手段である企画書には意思疎通性が求められる。


100 leo's

広告代理店の経営者として著名だったレオ・バーネット(1891-1971)はコピーライター出身である。稀代の書き手であった。バーネットの広告作法のエッセンスは企画とライティングにも当てはまる。遺された名言に目を通すと、広告や広告代理店の経営に関するものが多いが、底辺に横たわる仕事人の精神を見損じてはいけない。仕事の愉しみ、アイデア、創造性などについて、名言からインスピレーションを受けた時期があった。たとえば次の一文がそうである。

“Creative ideas flourish best in a shop which preserves same spirit of fun. Nobody is in business for fun, but that does not mean there cannot be fun in business.”
(愉快な精神がいつも育まれている仕事場では創造的なアイデアが次から次へと出てくる。決して愉しみのために仕事をしているのではないが、だからと言って、仕事が愉快であってはいけない道理はない。)

仕事の目的は成果であって愉しみではない。しかし、成果を出すのにしかめっ面しなければならない理由はない。大いに愉しめばいい。愉快精神は遊び心に通じる。経験上、アイデアのほとんどは遊び心から生まれてきた。企画研修では毎年何十、時には何百という数の企画に触れ企画書を見せてもらうが、趣旨や案がよくできていても、おもしろいものにはめったにお目にかかれない。企画者自身が愉しんでいないのである。成果を急がず、下手なりに愉しもうとすれば、対象と一つになるような力が漲ってくるものだ。

“Keep it simple. Let’s do the obvious thing the common thing but let’s do it uncommonly well.”
(凝らなくていい。わかりきったこと
――普通のこと――をすればいい。但し、普通じゃないやり方で。)

不肖ながら、普通じゃないやり方で文を綴ることは何とかできるようになった。しかし、下手に凝ってしまう習慣が抜けない。この歳になると文体がある程度固まっている。一つの単語が勝手に別の単語を呼び込み、あれもこれもと欲張り始め、結果的にはシンプルさを欠いてしまう。自分なりにはシンプルなつもりなのだが、ある人たちからすれば少々難解で冗長なのだろう。ぼくのやり残している課題の一つである。

ぼやくのをやめて話を戻す。企画力はつまるところ言語力に比例する。そして、できるかぎり陳腐な常套語に安住せず表現の意匠を凝らすべきである。もし伝統的なことばを使うのなら、文脈の中で新鮮の気を与えるべきである。十二分に構想してから書くか、書いては何度も推敲しながら考えを煮詰めていくかはこの際問わない。いずれにせよ、書くことに精進しなければ企画の愉しみを味わうことはできないだろう。

つけ麺と安保

山麺

遅いランチになった。どこにするか迷っている時間がもったいないので隣のラーメン店に入った。たいていつけ麺の大盛りを注文するが、今日は鶏醤油ラーメンと小さなライスにした。食べ始めた頃にスーツ姿の老紳士が入店し、ぼくの隣に座ってつけ麺を注文した。しばらくして老紳士の携帯に電話がかかる。ぼくに電話の相手の声が聞こえるはずもないが、老紳士が一方的に話した様子から、おそらく相手が二つか三つの質問を投げかけたらしいことは想像できた。話は3分くらいだろうか、おおよそ次のような話だった。

「私はね、今回の安保法案については、いろいろと吟味しましたけれど、自民党の考えでよろしいかと思っています。占領下にあったわが国が(……)、やっぱり国というものは自衛しなければならないんですよ。(……)言うまでもなく、戦争には大反対です。二度と繰り返してはいけないという思いから(……)70年間(……の)慰霊祭式典の音頭も取らせてもらってきました。(……)歳ですか? 今年で86歳になります。昭和4年、西暦だと1929年生まれです。(……)まあ、こんなところでよろしいでしょうか?」

取材を受けているようだった。電話を切ってまもなく老紳士につけ麺が運ばれてきた。どうやら初体験のようで、「このスープにつけて食べるんだね?」と店員に聞いている。すでにラーメンを食べ終わっていたぼくの視界にいやが応でも老紳士の動作が入ってくる。熱い太麺をつまんではさっさと口に運ぶ。そして、つけ麺の濃いスープをれんげで飲み始めた。お節介だとは思ったが、声をかけた。「食べ終わったら、そのスープをお湯で割ってくれますよ。つけ麺のスープは濃いですから、お湯で割ると飲みやすくなります。」


老紳士はうなずきながら、「あ、そうですか。でも、せっかく割ってもらっても、全部は飲み切れそうにないですな」と言うから、「いえいえ、義務じゃないですから、飲み干さなくてもいいんですよ。ちょっと味わうだけでいいんじゃないでしょうかね」と付け加えた。この後、少し沈黙があって、今度は老紳士のほうからぼくに話しかけてきた。当然、先の電話の話がぼくの耳に入っているのを想定してのことである。「戦争大反対なんですけどね、自民党のほうに一理あると思うんですよ」。ラーメン店で安保法案論争をする気などまったくないので、その話は聞き流し、「失礼ですが、いったいどんなお仕事をされているのですか?」と話題を変えた。

「元新聞記者です。こんなふうに電話でよく意見を聞かれるのですよ」と言う。「そうですか……」と言って、続けた。「ぼくは論争を聞くのがまんざら嫌いじゃなくて、自論を述べたり是非の判断を下す前に、一応いろんな意見を精査検証するようにしています。で、この件なんですがね、論点が深まらず、堂々巡りの予感がしています。争点を、安全や国際だけでなく、生活や幸福や思想や精神などに広げて踏み込んでいかないと、議論の質が高まってこないような気がします」。ぼくには珍しく差し障りのない型通りの話である。何しろ、時はランチタイム、場はラーメン店なのだから。

「先ほどの電話ですが、聞き耳を立てたわけではなく、勝手に耳に入ってきました。お歳が86才には見えないほどお若いですね。うちの父は一つ上ですが、ほぼ寝たきり状態です。認知症の兆候などはないものの、国家の大事を議論することはおろか、まったく関心もないでしょう。父とほぼ同じ年齢にして意見をお持ちなのは羨ましいかぎりです」と言って立ち上がった。「これからもお元気でご活躍ください。いいご縁でした」と言い残して店を出た。

この店ではこれまでつけ麺一辺倒だったが、ラーメンもなかなかの味だった。

かゆい所におもてなし?

考えを明文化するにあたっていっさい妥協しない主義だが、一つだけ例外がある。ハウツーや作法の明文化、そして文章による指南には疑問を抱いている。想定する以上の効能があるとは思えないのだ。かつて企業の販売最前線ツールとして何十ページものセールストーク集が頻繁に編まれた時代があった。ぼくもQ&Aのコンテンツを考え編集に参画する機会に恵まれた。協力者にとっては「おいしい仕事」であった。しかし、経験の浅い者がハウツーを学んでも、学びは本番ではなく、リハーサルにすぎない。リハーサルと実践の間には気の遠くなるような距離が横たわる。しかも、飲み込みの早い遅いがある。セールストークを磨き上げる大前提には場数と試行錯誤が欠かせないのである。

セールストークに言えることは、昨今はやりの「おもてなし」にも当てはまる。おもてなしというサービスの基本は、マニュアルで規定される要素よりも現場での臨機応変性のほうがものを言う。基本は「目配りと気づき」である。いくら研修でマニュアルを丸暗記しても、ピンと来ない者が脳内を検索できるはずがない。覚えたはずのことを場に応じて起動させるには、場の隅々に目配りし、見えざる困りごとやニーズに気づかねばならない。目配りし気づくから、覚えたハウツーが即座に思い出せるのである。

立ち居振る舞いや諸々のサービスが顧客の期待以上のものであること。これをおもてなしと称したはずである。心を込めて客を応対することを昔から「もてなす」と言い、ほとんどの場合「もの」を主として歓待していた。ものとは酒であり食事であり茶菓であり花などであった。つまり、客も提供する側も暗黙のうちにもてなしの内容を了解していたはずである。但し、決まりきったサービスがあるわけではないから、結局は客の感じ方が質のほどを決定する。十分にもてなしたつもりなのに、客のほうがもてなされたとまったく感じないことがあるわけだ。ものの提供から捉えどころの難しい気持ちやことばに転化してきたのが今日のおもてなしスタイルであり、ブームを形成しつつあると言えるだろう。


全日空グループのANA総合研究所と東京大学が、客室乗務員の接客行動を分析する共同研究を始めると発表した。客の希望を先回りして提供するおもてなしを科学的に分析し、人材育成に生かそうという試みだそうである。そして、今さら? と首を傾げたくなる常識的な「おもてなしとは相手の欲求に気づくこと」との仮説を立てた。機内乗務員の行動パターンを装置的に記録する……いちはやく客の欲求に気づく乗務員に「なぜ気づいたのか」という聞き取りに一年をかける……これらの集積データから「おもてなしができる人材の共通項」を割り出す……という手順らしい。手っ取り早く言えば「気づきの科学的実証」である。

孫の手

この新聞記事を読んで、ぼくは大きく溜息をついた。先に書いたように、どんなに優れた方法で現場情報を集めても、数字や明文化されたものから学ぶことなどはほとんど絶望的だと思うのである。他人の見えざる願望――ことばになる前の思い――を汲み取ったり、何かにつけてよく気づいたりする能力は、長年にわたる場数と習慣形成の賜物であり、分析不能な資質の統合ではないか。客室で気づかない者は、日々の衣食住にまつわる生活行動においてもたぶん気づきが少ない。そんな気づかない人間に視野を広げさせ、感受性のアンテナを立てさせ、臨機応変に状況に処することを指導することはほとんど不可能だろう。

はたして一年後に「あらゆるかゆい所にも届く孫の手」のような共通項が出てくるのだろうか。結局は人の問題として片付けられるような気がする。物理的視野角が広く、かつ心理的洞察力に優れた人材などという結論なら、今すぐにでも下しておけばいい。

もう何十年も前の話を思い出す。生命保険会社か銀行かが倒産についての調査をおこなった。「倒産しやすい企業」の共通項のあぶり出しである。ぼくの記憶が正しければ、その調査の一番の収穫は「創業10年未満の会社に倒産が多い」ということであった。コーヒー1杯をおごってくれたら、誰に聞かずとも、十いくつかの倒産要因を箇条書きにしてあげただろう。この調査には数千万円が費やされた。創業とは赤ん坊がよちよち歩きを始めるのに似て転びやすい。小学生高学年になると転びにくい。当たり前である。企業も同じで、倒産しなかったから10年、20年続いたのである。

手間暇がかかる割には調査や実験というものは、ふつうの人間がすでにわかっている事柄に遠回りしてやっとこさ辿り着くことが多い。おもてなしの実証研究がそうならないことを祈る。だが、ぼくたちが想像もつかない、目からウロコが落ちるようなノウハウが期待できるだろうか。

寡黙なる人々

世代論には当たり外れが多く、あまり信憑性を認めない。「おれたちの世代は今の若者と違って……」という年配者の決まり文句はいつの時代にも聞かれたし、今も「最近の若者は……」という勇み足の一般論が後を絶たない。とりわけ「団塊ジュニア」などと新しい造語で世代を一括りするのは共通項のでっち上げになりかねない。

このような安易で強引な類型化に与しないが、例外的に「現代の若者」に感じている特徴がある。統計も理論的根拠もないが、直観的現象論でもない。まずまずの数の経験的サンプルから帰納したぼくの大雑把な感覚によると、彼らは先行する世代に比べて「寡黙な人たち」なのである。

残念ながら、彼らどうしのお喋りをつぶさに観察しているわけではない。ぼくが経験しているのは、ぼくや年長者と居合わせている時の彼らの寡黙ぶりである。問われたり導かれれば口を開くが、主体的に言を尽くすのは稀である。もし食事中にぼくもだんまりを決め込んだら、おそらく長い沈黙の時間が過ぎるだろう。出された宿題は解くが、自ら問いを発して問題を解こうとしないのに似て、促されなければ平気で黙っている。わずか数秒の沈黙にすら居心地の悪さを感じるぼくからすれば、驚嘆に値する忍耐力と言わざるをえない。

黙

黙る行為の内には功罪の価値が対立する。黙るのは喋ることに比べるとリスクが少ないとよく言われる。たとえばギリシアのシモニデスの「口をつむぐ時、愚か者は賢く、賢者は愚かになる」という格言が示すように、公開の場で愚者が賢者を逆転するには、自分が黙り、自分よりも賢い相手に喋らせればいい。早い話が、賢者のオウンゴール待ちである。公開の場でなくても、一方的に話し相手がただうなずくだけという場面で、もしかしてぼくのほうが愚かなのではないかと思うことがある。喋ると小人物が暴かれるが、黙っていると大物感が漂うから不思議だ。


実際、「心が広くなると口数が少なくなる」(中国の諺)や「口をつむぐ者は魂を守る」(旧約聖書の箴言)のように、寡黙礼賛の教えも少なからず語り継がれてきた。とは言え、ずっと黙り続けている者への教えではない。これらは弁舌を尽くしてもなお語りえない境地に到った賢者の寡黙のことだろう。ぼくは思うのだ。天に召されたら無条件で黙ることになる。永遠の沈黙が確実に保障されている。ならば、生あるうちに口ごもりながらも駄弁を弄しておいてもいいのではないか。

「沈黙は承認のしるし」(エウリピデス)や「無言の拒絶は半ば同意」(ドライデン)というのもある。ノーなのに黙っていればイエスと解釈されても文句は言えない。本心がノーならノーと言えばいいのに、黙っているから後々厄介になるのである。こうした沈黙者に対して一方的に語りかけるのがこれまでのぼくのやり方だった。最近は若い世代が話すまでぼくから口を開かない。意地悪だが、「口を閉ざしている者には、他人もいっさい口を閉ざす。その沈黙へのお返しだ」(ベーコン)に従うようにしている。「ほら、相手に黙られたら困るだろ?」というつもりだが、まったく動じない者もいるから、文字通り「閉口」する。

若い世代に寡黙なる人々が少なくないことは経験的にわかっても、なぜ彼らが寡黙なのかを説明する材料を持ち合わせていない。しかし、ぼくたちが生きているのは、話さなくて済むことよりも話さなければ始まらないことのほうが圧倒的に多い時代である。寡黙はおとなしさや誠実の象徴に見えるが、同時に、交渉時に本性を隠す時の常套手段でもある。つまり、寡黙の仮面を剥いだら危険極まりない人物であったりするのだ。事件後に「まさか、あのおとなしい人が……」と知人友人がテレビで語っているのはこのことである。他方、声高にまくしたてる人間には駆け引き下手が多く、ある意味で素直にホンネを開示しているとも言えるだろう。さて、寡黙なる人々へのぼくの今日この頃の印象はラ・フォンテーヌの思いと同じである――「黙っている奴は物騒だ」。

エスプレッソ雑感

あのコマーシャルのように“What else?”(他に何が?)とまで言う気はないが、エスプレッソはよく飲む。深くて苦くて濃いエスプレッソだが、浅くて甘くて薄い話を書いてみる。

エスプレッソ

うどんを平らげ出汁も飲み尽くした直後のコーヒーになじめない。鰹昆布の出汁とコーヒーが胃袋の中で混ざり合うのを想像すると飲めない。同じくラーメンの後のコーヒーにも違和感を覚える。まったく平気な人もいる。ぼくには無理だ。食後のコーヒーは大いに歓迎するが、何を食べたかによりけり。別に和食でもいい。しかし、汁物の後のコーヒーには触手が伸びない。そんなぼくでも、後に控えるのがエスプレッソなら食事は和洋中を問わない。エスプレッソは少量だから気にならないのである。

鳴り物入りで大阪に一昨年開店したイタリア直営店が業態を変えた。事実上の店じまいか。本場のエスプレッソを何百杯も飲んでいるぼくだが、あの店の豆との相性はよくなかった。エスプレッソとエスプレッソベースのカフェラテやカプチーノが売りなのに、売れ筋はたぶんブレンドとアイスコーヒーだったと思う。本場から進出してきて腕を振るっても、エスプレッソは日本では絶対に主流にならない。イタリアンバール特有の立ち飲みスタイルが採用されていたら、それが敬遠の理由になるかもしれないが、そんな店はまだほとんど出現していない。だから、苦くて濃いコーヒーがおそらく日本人に向かないのだろう。

うまいエスプレッソの店もあるが、ぬるかったりする。ぬるいのは論外である。熱々のが出てきたと喜んでも、今度は味が薄かったりする。うまくて熱くても、紙コップで出されたら満足も半減する。一応合格点がつけられる近場のカフェはわずかに2店か3店。ならば自分で淹れるしかないと、しばらく休眠させていたエスプレッソマシンを5月頃から使い始めた。シングルは、とある協会公認の量は30ml。ダブルでも50ml強だからヤクルト一本分より少ない。自宅ではだいたいダブルを飲む。砂糖は専用のものを一袋か角砂糖一個を入れてかき混ぜる。イタリア人は一気または二、三口で飲むが、ぼくはちびちびとすすることもある。


この少量という点も喫茶店で長居したがる日本人のネックに違いない。エスプレッソ(Espresso)は「特急」という意味だ。抽出が30秒ほどだから、注文してから1分以内に出てくる。いかにも特急。そして一気に飲むから、これまた特急だ。そして、さっさと店を後にする。これがカウンターで立ち飲みする本場の客の定番スタイルである。ぼくのようにちびちび飲んでも1分ともたない。もちろん、イタリア人でもよもやま話よろしく長居する連中もいるが、彼らはカウンターで飲むお代の倍額を払ってテーブル席に陣取る。

同じ機械を使っても味が変わる。季節が違い、豆が違い、豆の焙煎が違い、豆の挽きが違い、焙煎から何日経過したかによって味が変わる。これらの条件がまったく同じであっても差が出る。その差を決定づけるのがバリスタの腕である。端的に言えば、バスケットフィルターに粉を入れ、その粉をタンパーという道具で押さえるという、一見誰がしても同じようなタンピングの動作に熟練の差が出る。粉の入れ具合とタンピングの絶妙の加減で味が変わる。にわかに信じがたいかもしれないが、飲み比べてみればわかるから不思議である。

イタリアでは「ウン・カッフェ」で一杯のエスプレッソ。どこの街でもバールに入って毎日3杯ほど飲んだが、ハズレはなかった。特にうまい店は印象に残っていて、店名こそ覚えていないが、店の間取りもバリスタの顔や振る舞いも思い浮かぶ。店名をしっかり思い出せるのはローマの老舗La Casa del Tazza d’Oroラ・カーサ・デル・タッツァ・ドーロ。「金カップの店」という名である。焙煎所兼バールで、少し離れた所にまでアロマが漂ってくる。特急で出てくる1杯はたぶん30mlにも満たない。なにしろカップに2cmほどしか入っていないのだから。粘性が強いので砂糖を入れるともはや液状ではない。しかし、濃さと苦さでは体験上随一であった。

パリでは「アン・キャフェ」と注文する。イタリアのエスプレッソに比べれば、なみなみと入っている印象を受ける。トリプル相当である。飲みごたえがあるから、たいていテーブル席に座った。街角・舗道・通行人観賞代のつもり、隣のテーブルの会話聴取代のつもりである。エスプレッソを使ったアレンジ系で最も気に入ったのはウィーン版カプチーノであるメランジェ。場所はシェーンブルン宮殿内のカフェ。季節外れの寒波に襲われた極寒の3月初めのこと。身体が凍るのではないかと恐れ震えながら、廷内の登り坂を雪を踏みしめて歩いた。あの時の一杯のメランジェの味を身体が覚えている。

守破離と型

芸道や武道、茶道には型がある。いつの時代も、師から弟子への型の伝承は文化創造の要とされる。型を単純継承するだけでは発展はおぼつかない。それゆえ、師匠の型の模倣から始まって最終的には自分の型を生み出さねばならない。ここに〈守破離しゅはり〉という考え方が生まれる。ところが、守破離は「(師匠の)型を守り、それを破り、そして型から離れて自由自在になる」と一般的に理解されてきた。はたしてそうか。

問題は、守破離の〈離〉のステージの解釈だ。脱型して自由自在になる状態だと言われる。しかし、そのステージに達したとしても、型が消えてしまうわけではない。誰かが「ついに型から離れた」と悟ったかのように言っても信用しかねる。師匠クラスの技や振る舞いに何がしかの型を知覚するからである。〈離〉は型の不在ではない。ある型から離れて辿り着く先が型無き混沌の状態であるはずもなく、そこには進化した別の型が姿を現わす。〈破〉のステージも同様である。型を破るにしても同時に別の型が生まれるのである。

守破離

守破離とは一つの固定した型を巡っての熟練化概念ではない。端緒を開くのは守るべき型だが、それを破ったとしても次に「型破りな型」が育まれるのであり、そこから離れても次に「型離れした型」が現れるのである。「守り破り離れる」を弁証法的に繰り返し、つねに新しい型を創造していく修行の過程を守破離は説いているのではないか。


何々道だけの話ではない。おこなうことも考えることも模倣から独創への過程を踏む。たとえ独創的な次元に達しても型なき行動も思考も想像することはできない。おそらく人は型に縛られて生きる宿命を背負っているのだろう。これは、しかし、一つの型に縛られるということではなく、つねに型から型への〈変態メタモルフォーゼ〉を免れないという意味である。ぼくの知る名人達人は誰もが型を持つ。微動さえしない型ではなく、自在性と可塑性を併せそなえる型を持つ。型のないものをそもそも認識することはできないのである。道を究めた技を「自由自在」だとか「暗黙知」だと言っても、型がそういうふうに形容されたにすぎない。

型はヤドカリの住まいに似て、入型と脱型という新陳代謝を繰り返す。こうして身の程や技や力量に応じた型が研ぎ澄まされていく。守破離は型が洗練されていく道程であり、それは究極のシンプリシティへと向かう。「シンプリシティは究極の洗練である」というレオナルド・ダ・ヴィンチのことばが思い浮かぶ。こうしてみると、離れるとは技における余分の引き算ではないか。雑味を除いて純度を上げると言ってもいい。

「無用の用」ということばがある。無用も「用」である。そうであるなら、無型に見えるものも「型」に違いない。その型は絶対精神にも似た究極の洗練、シンプリシティを目指す。言うまでもなく、一人の人間の生においてそのシンプリシティを見届けるのは叶わないだろう。未来永劫、代々続く師弟関係においてこその守破離なのである。「芸術は長く人生は短し」というヒポクラテス由来の言がこのことを物語っている。