かゆい所におもてなし?

考えを明文化するにあたっていっさい妥協しない主義だが、一つだけ例外がある。ハウツーや作法の明文化、そして文章による指南には疑問を抱いている。想定する以上の効能があるとは思えないのだ。かつて企業の販売最前線ツールとして何十ページものセールストーク集が頻繁に編まれた時代があった。ぼくもQ&Aのコンテンツを考え編集に参画する機会に恵まれた。協力者にとっては「おいしい仕事」であった。しかし、経験の浅い者がハウツーを学んでも、学びは本番ではなく、リハーサルにすぎない。リハーサルと実践の間には気の遠くなるような距離が横たわる。しかも、飲み込みの早い遅いがある。セールストークを磨き上げる大前提には場数と試行錯誤が欠かせないのである。

セールストークに言えることは、昨今はやりの「おもてなし」にも当てはまる。おもてなしというサービスの基本は、マニュアルで規定される要素よりも現場での臨機応変性のほうがものを言う。基本は「目配りと気づき」である。いくら研修でマニュアルを丸暗記しても、ピンと来ない者が脳内を検索できるはずがない。覚えたはずのことを場に応じて起動させるには、場の隅々に目配りし、見えざる困りごとやニーズに気づかねばならない。目配りし気づくから、覚えたハウツーが即座に思い出せるのである。

立ち居振る舞いや諸々のサービスが顧客の期待以上のものであること。これをおもてなしと称したはずである。心を込めて客を応対することを昔から「もてなす」と言い、ほとんどの場合「もの」を主として歓待していた。ものとは酒であり食事であり茶菓であり花などであった。つまり、客も提供する側も暗黙のうちにもてなしの内容を了解していたはずである。但し、決まりきったサービスがあるわけではないから、結局は客の感じ方が質のほどを決定する。十分にもてなしたつもりなのに、客のほうがもてなされたとまったく感じないことがあるわけだ。ものの提供から捉えどころの難しい気持ちやことばに転化してきたのが今日のおもてなしスタイルであり、ブームを形成しつつあると言えるだろう。


全日空グループのANA総合研究所と東京大学が、客室乗務員の接客行動を分析する共同研究を始めると発表した。客の希望を先回りして提供するおもてなしを科学的に分析し、人材育成に生かそうという試みだそうである。そして、今さら? と首を傾げたくなる常識的な「おもてなしとは相手の欲求に気づくこと」との仮説を立てた。機内乗務員の行動パターンを装置的に記録する……いちはやく客の欲求に気づく乗務員に「なぜ気づいたのか」という聞き取りに一年をかける……これらの集積データから「おもてなしができる人材の共通項」を割り出す……という手順らしい。手っ取り早く言えば「気づきの科学的実証」である。

孫の手

この新聞記事を読んで、ぼくは大きく溜息をついた。先に書いたように、どんなに優れた方法で現場情報を集めても、数字や明文化されたものから学ぶことなどはほとんど絶望的だと思うのである。他人の見えざる願望――ことばになる前の思い――を汲み取ったり、何かにつけてよく気づいたりする能力は、長年にわたる場数と習慣形成の賜物であり、分析不能な資質の統合ではないか。客室で気づかない者は、日々の衣食住にまつわる生活行動においてもたぶん気づきが少ない。そんな気づかない人間に視野を広げさせ、感受性のアンテナを立てさせ、臨機応変に状況に処することを指導することはほとんど不可能だろう。

はたして一年後に「あらゆるかゆい所にも届く孫の手」のような共通項が出てくるのだろうか。結局は人の問題として片付けられるような気がする。物理的視野角が広く、かつ心理的洞察力に優れた人材などという結論なら、今すぐにでも下しておけばいい。

もう何十年も前の話を思い出す。生命保険会社か銀行かが倒産についての調査をおこなった。「倒産しやすい企業」の共通項のあぶり出しである。ぼくの記憶が正しければ、その調査の一番の収穫は「創業10年未満の会社に倒産が多い」ということであった。コーヒー1杯をおごってくれたら、誰に聞かずとも、十いくつかの倒産要因を箇条書きにしてあげただろう。この調査には数千万円が費やされた。創業とは赤ん坊がよちよち歩きを始めるのに似て転びやすい。小学生高学年になると転びにくい。当たり前である。企業も同じで、倒産しなかったから10年、20年続いたのである。

手間暇がかかる割には調査や実験というものは、ふつうの人間がすでにわかっている事柄に遠回りしてやっとこさ辿り着くことが多い。おもてなしの実証研究がそうならないことを祈る。だが、ぼくたちが想像もつかない、目からウロコが落ちるようなノウハウが期待できるだろうか。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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