あなたはたまたまそこに居合わせていた。そして、積極的に聞こうとしたわけではなく、たまたま会話が「聞こえて」きた。たまたま立っていた場所が物陰だったりして、会話していた連中がふとあなたの存在に気づく。「まさか立ち聞き?」と詰め寄られる。「立ち聞き」とは別名「盗み聞き」。なんだか会話泥棒みたいだ。
「立ち聞きなんて人聞きの悪い!」と韻を踏んで反論している場合ではない。「勝手に聞こえてきたのであって、聞いたのではない」という無実を証明するのはたやすくないのだ。関心のないことは聞こえてこないものだぞ、聞こえてきたのは耳をそばだてていたからだろう、そしてそこには悪意があったに違いない――という具合に論理を運ばれ冤罪の一丁上がり。こんな経験がないのは幸いなるかな。
遠距離特急内では「座り聞き」が生じる。こっちはおとなしく指定席に座っている。読書に集中するか寝不足を補うために睡眠を取るのが常だ。しかし、時折り前部か後部の座席から会話が「聞こえて」きて邪魔される。意に介さないでおこうとすればするほど、余計に耳が鋭敏になる。そして、情けないことに、たまたま聞こえてきた話を聞き流そうとしているにもかかわらず、気がつけばいつの間にか身構えて、発言権と拒否権のないまま聞き役に回っていることがあるのだ。
大阪発富山行き特急サンダーバード。後部座席からの夫婦の会話が聞こえてきた。
「サンダーバードって何?」「さあ……」「サンダーバードの他に雷鳥という特急もあるわ」「……」「辞書に載ってるかな?」 (ご婦人、おそらく携帯電話を取り出している) 「和英で見るの、英和で見るの?」「カタカナやから英語やろ。英和やな」と夫。 (しばらくして)「載ってないわ」「……」
ここで話は別の方向へ。その後の会話はまったく覚えておらず、上記の会話の部分だけは正確に文字で再現できるほど鮮明に記憶に残っている。
「(携帯の辞書に)載ってないわ」の瞬間、お節介を焼きたくなった。「サンダーバードって、Sで始まりませんよ。Thですよ、“thunderbird”って入力しないと出てきませんから。ちなみに“thunder”は雷で、“bird”は鳥だから、単語を直訳すると『雷鳥』になります」。
もちろん、座席の後ろを振り返って、見ず知らずの夫婦にこんな口をはさむわけがない。無言のお節介だ。雷鳥とサンダーバードは、厳密に言えば、同じ鳥ではない。サンダーバードは「雷神鳥」というアメリカ北米の巨大な鳥だ。しかし、ことばが酷似していることに気づいてほしかった。いや、気づかせてあげたかった。
こんな思いに到るぼくは変わり者なのか。喫茶店の隣のテーブルで「小泉さんの前の総理大臣って誰だった?」に対して三人が必死になって思い出そうとし、何分経っても正解が出てこない場面に居合わせたあなたは、たぶん知らんぷりをするだろうが、心のどこかで「森さんですよ」と告げたくならないか。
道に迷っていそうな人に声をかけてあげるのは難しくない。あるいは、「地下鉄はこっちよ」と彼女が彼に言い、カップルが間違った方向に歩こうとしていたら、一言「あっちですよ」とアドバイスするのも朝飯前だ。だが、こと知識に関しては、ドアをこじあけるようにわざわざ会話の中に入ってまで授けるものではないのだろう。
「勝手に聞こえてきたこと」を「意識して聞く」。「勝手に見えてきたもの」を「意識して見る」。もしかすると、「偶察力」というものはこのようにして磨かれるものなのかもしれない。