街歩きをすると標識や看板が目に入る。立ち止まってしばし眺めることがある。文字だけでなく、デザインや色遣いもじっくり見る。少々違和感のある店名でも色合いがよければ、良さそうな店に見える。総じて言うと、派手な色調ならつかみが力強いが忘れやすく、むしろシンプルなほうが記憶に残るような気がする。
■
日が短くなった。午後六時頃になると空が赤みを帯びる。夜ごと同じ赤ではないし、稀に蒼ざめたような夕暮れに巡り合わせる。歓楽街に足を向けなくなって久しいが、歓楽街の外れをたまたま歩いた折り、西の空がネオンに穢されたようにどす黒く変色していた。憐れんだ。
■
ラジオを聴いている時、音声にイメージを足していることに気づく。ある種の関連付けと照合作用。視覚にもよく似たことが起こる。単色の形に対してバーチャル絵具で着色しているのだ。モノクロームの色彩化。先日夜景を撮ろうとして手ぶれした一枚の写真がちょうどそんな感じだった。カラフルなものばかり見ていては想起する力が弱まる。
■
旅先で油彩のような雰囲気のカフェに入った。壁やテーブル、カウンターや椅子、所狭しと並べられた色とりどりのボトル。そこに注文したコーヒーとケーキが運ばれて新しい色が加わる。絵が変わった。味を褒めちぎっていたら、「これ飲んでみる?」と言って、昼間なのにデザートワインをグラスに注いでくれた。さらにこの一品の色が加わり、また絵が変わった。旅先だと敏感だが、日常ではその時々の変化する絵模様にあまり気づいていない。
■
バル地下の一画でりんごが売られていた。2個手に取りレジへ。レジ横に水槽が置いてある。見ていると砂の中から頭が出た。さらに、ひゅるひゅるという感じで首と胴の一部が現れた。妖艶な紫の背景にコミカルな動作。「チンアナゴ」という珍妙な名前らしい。砂の色なのか照明なのか、高貴なはずの紫が可笑しさを増幅していた。
■
あの時見上げた空のあの雲は、ゆっくりと流れて細く薄く尻尾をなびかせていた。絵筆を静かにやわらかに運んで、手さばき鮮やかにすっと紙から離したような感触の一筋の線。青と白だけで見事な筆さばきだった。写真はないが、記憶にしっかりと刻まれている。