季節外れの〈セミ〉の話題。書いてみようと思ったのは、注文した料理にセミが付いてきたからだ。初めてではない。以前にもそんなことが何度かあった。
ところで、セミは漢字で「蝉」。虫へんに単だから簡単なのだが、ど忘れして戸惑うことがある。英語では“cicada”というらしい(さっき調べて知った)。初見である。Googleで発音を聴いてみた。「セカーダ」と英国人女性が、「セケィーダ」と米国人男性が言っていた。ぼくにそう聞こえたというだけで、正確な発音はわからない。
雇っている中国人が夏の終わりに蝉を獲って食べるという話を知り合いの経営者から聞いたことがある。蝉のエピソードと言えば、それくらいしか知らない。「蝉と言えば?」と問われたら、抜け殻か、セミファイナルというダジャレか、芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」くらいのもの。他に思い出すような洒落た故事成句やことわざはない。
幼虫として過ごす長い年月は誰にも知られないまま、蝉は地上に現われて羽化する。そして抜け殻を残し、この世の最期とばかりに数日間うるさく鳴き、やがて亡骸になる。古来日本人の関心の対象は、この蝉という生き物よりも「鳴き声」だったのではないか。それが証拠に、蝉の種類の区別もつかないくせに、蝉の声のオノマトペを熱心に文字で再生しようとしてきた。ジージリジリジリ、ツクツクボーシ、カナカナ、ミーンミンミンミンミー……。
蝉の声はわが国では夏の代表的な風物詩になっている。他方、南フランスでは鳴き声にはあまり関心がなく、蝉そのものをある種の象徴として見てきた。蝉は幸運のシンボルとして親しまれ、南仏の太陽とも重ね合わされる存在だという。ここで冒頭の料理と蝉の話がつながってくる。
先日、フランス料理店でコース料理を注文し、メインに茶美豚を選んだ。蝉が皿の上に乗ってきたわけではない。メインの皿の直前に新たに置かれたナイフに蝉が象られていたのである。ラギオールナイフとしてよく知られる細工物だ。もう閉店したが、以前よく通ったビストロでは、ソムリエがワインを開栓する時にこの蝉の彫金ナイフを使っていた。久々に見るナイフ。目を凝らした。フクロウと言われればそう見える。縁起物だと思うことにして、手のひらにずっしりとくる重みで肉を切った。
岡野先生、今年も楽しみに拝読しています。
今日は途中で料理の写真をクリックして、拡大して見ちゃいました。
どこにセミ?乗っていないし・・?
先生の思うつぼ?早とちりはいけません・・気をつけます。
今日は先生にクレームです。
頂いた年賀状、読み終わるのにどれだけ苦労したか・・
あの小さな字は根気が無い年寄りには大変でした。
これを書き、印刷した岡野先生は、いたずら心は子ども並み?
空っぽ頭の酸素濃度91%のバアサンは一苦労。
栃木にいらしたら、私の手抜きパスタを食べに来て下さい・・
こんな簡単な言葉、いつになったら言えるのでしょう。
今年もよろしくお願いします。
年賀状を投函した翌日に父が他界したので、複雑な心理の年末年始でした。ともあれ、喪中はがきなどは出さない主義ですので、これはこれでよし。
年賀状はもう25年も同じパターンで続けていますので、今さらクレームを申し立てられても変える気はございません。昨年までのは5段組みでしたが、今年は4段組みにして文字が少し大きくなっているはずです(昨年の年賀状を保管していただいているのなら比較をお願いします)。
もう栃木に行く機会はないでしょうが、万が一そういうチャンスがあれば、具は少なめでも結構ですので手の込んだパスタをお願いします。手抜きパスタは当地でも食べられますので。
1年経つと1年加齢するという、この神妙にして絶対の法則に逆らわず、面倒くさがらずルーチンをこなして1日1日を高密度で過ごしていきたいと思います。