🌿 四月、春になった。桜が咲き始めてもまだ春とは呼ばない。満開を経て散り始めた時からが春本番だ。気象庁の開花宣言に倣って、今朝、春本番宣言をしておいた。
🌿 集合住宅のわが家には庭がない。芝生もないので、隣の芝生が青く見えることはない。しかし、新メニューが出る春のレストランでは隣りのテーブルの誰かが注文した料理がおいしそうに見え、「あれにしておけばよかった」と後悔するのが常である。
🌿 陽射しが快い。都会の日時計が午前10時半頃を示していた。腕時計と若干誤差があるが、日時計の鷹揚な時の刻み方にクオリティ・オブ・ライフを思う。「だいたい」とか「~頃」とか「およそ」とかは人間的である。
🌿 春は役割を終えたノートが新しいノートにバトンタッチする。おろしたてのノートの最初のページにペンを走らせるのは、なぜあれほど快いのだろう。約半世紀にわたってノートを愛用し、断続的にシステム手帳を併用して、何もかもそこに一元化して書き込み綴じてきた。「いったい何を書いているんですか?」とよく聞かれる。「いいネタとくだらないネタを半分ずつ」と答える。
🌿 何かを食べ、あるいは何かを見て、ついついいろんなことを連想して、ついでに蘊蓄を傾ける。蘊蓄よりも意味あることがいくらでもあることくらい重々承知している。「また蘊蓄?」などと嫌味っぽくも言われる。それでも、やっぱり蘊蓄がいるのだ。蘊蓄しなければ物事の重要性のありかに気づかないのである。
🌿 四月は新年度のスタート。「新しい」とは「よく知らない」ことでもある。よく知らないならよく知っている人に聞くのがいい。ぼくもよく聞かれるので、推薦する。一つに絞るのが難しければ「一推し」を筆頭にいくつか挙げる。二番目を「二推し」と言うのを最近知った。まさか「三推し」とは言わないだろうと思ったが、それも言うらしい。今のところヨンオシの用例は見つかっていない。