察してもらうか、語り尽くすか

同じテーマで『ハイコンテクストな標識』と題して5年前に書いたことがあり、矢印(⇨)のサインと〈自転車を除く〉という文字の交通標識だけで意味が伝わるのかを検証した。伝わると思うからそれで済ましているのであり、これでは伝わらないと思えばことばで説明するはず。長ったらしい説明をハイコンテクストなビジュアルで置き換えるのが標識やピクトグラムやアイコンの役割である。

さて、「察してもらう」と「語り尽くす」は二項対立の関係にある。暗黙の了解に期待するか、とことん説明するか……英語では前者を「ハイコンテクスト」、後者を「ローコンテクスト」という。コンテクストとは文脈のこと。

同じ文化的背景を持ち、必ずしも言語に頼らなくてもある程度通じ合えるのがハイコンテクスト。お互いに文脈や行間を読んで理解することを期待し合う。他方、前提的な知識や非言語的要素に依存せずに、あくまでも言語で理解し合おうとするのがローコンテクスト。

ハイコンテクスト文化では「みなまで言う」のは野暮である。よく知る者どうしが「あれ」や「それ」で雑談し、わかっているのかわかっていないのかなどはあまり気にとめない。ローコンテクスト文化ではそんなコミュニケーションをもどかしく思うので、意味を明快にしながらとことん語り説明する。

以前は、日本がハイコンテクスト文化の国で欧米がローコンテクスト文化の国々として対比されたが、必ずしもそうとはかぎらない。二つ以上の文化が交わるTPOではハイコンテクスト交流には限界があるため、たとえば英語を共通言語として語り合うのである。しかし、どこの国であっても、特定のコミュニティの人どうしならある程度察し合うものだ。

ユダヤ人は言語と論理で語る典型的な民族とされているが、ユダヤ人どうしのコミュニティでは、日本人どうしと同じく、「省言語」の場面もよく出てくる。宗教と生活習慣と文化・しきたりを共有していればツーカーが当たり前になる。「察する」をテーマにしたユダヤジョークを一つ披露しよう。

わが子の出産に大喜びの夫が妻の両親に電報を打った。単語4つの短いメッセージ。電報を受け取った義父が、後日夫を詰問した。

「なんだ、あの電報は。あれだけの文字数はいらんだろう。わざわざレベッカ? レベッカ以外の他に誰がいるんだ? 他人様の女房が子どもを産んで、お前さんが義父のオレに電報を打つはずがない。しかもメデタクとは何だ⁉ めでたいのに決まってるじゃないか! シュッサン? 出産以外の生み方があるとでも言うのか? コウノトリが連れてきたのか? きわめつけはダンジだ。女の子だったらそんなに大喜びするはずがないぞ」

しょんぼりした娘婿に義父は最後にこう言った。

「お前が白紙の電報を打ちさえすれば、レベッカに男の子が生まれたくらいオレにはわかるんだ!」

ハイコンテクストな単語4つの電報を凌ぐ究極のメッセージは、白紙の電報なのだった。ハイコンテクスト文化にどっぷりと浸かっていると、かぎりなく沈黙に近づいていくことがわかる。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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