文房具の過剰

どれだけの歳月が人生に残されているか知らないが、毎日必死に文字を書き綴っても使い切れないほどの筆記具が自宅と職場に溢れている。筆記具とその周辺の道具、つまり各種文房具を備えていると言うよりも、無駄に過剰に置かれているというさまである。

今の時代、PCかスマホ1台があれば、一応何がしかの文を作れる。機器がなくても、1本の筆記具と1枚の紙があれば手書きもできる。

かつては文をしたためるには筆、すずり、墨、紙の「文房四宝ぶんぼうしほう」が必需品だった。正確に言えば、水を入れておく水滴も必要。水滴から硯に水を注いで墨をすり、筆を手に取って墨汁を吸わせて紙に筆を運ぶ。時間を十分にかけて気息を整えて文字を書く。書道具に贅沢に凝ったのもうなずける。能筆の凝り性は水にもこだわり、わざわざ湧水を汲みに行った。

「万年筆を愛用している」などと言ってはみるが、休みの日にも職場に置いたままで、ペンケースに入れて自宅に持ち帰ることはほとんどない。たまに持ち帰るが、ペンケースから取り出して一筆することはめったにない。「この週末こそ万年筆で書くぞ」と自らを鼓舞しても、水性ボールペンで済ませてしまう。

これだけの筆記具を手元に置いて、いったいどうするつもりなのか……どう見ても過剰である。文案づくりやコラムを書くのは仕事の一つではあるけれども、手書き経由でなく、いきなりキーボードを叩いて文章を作っているではないか……。

ところで、文房具の文房とは元々「書斎」の意味だった。書斎でものを書くために揃えた道具が文房具である。いつの間にか、文房具は書くことから周辺に広がり、ホッチキスや定規や付箋紙やクリップなども仲間に加えるようになった。それでもなお、ペンとインク、シャープペンシルと芯(念のために消しゴム)、ノート・紙が書くことの基本だ。

以前に手書きメモしたことを以上のようにPCでブログを書いて編集した。出番のなかった筆記を横目に見ながら、しばらくは絶対に筆記具を買わないぞと決意している。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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