蒼穹。読みは「そうきゅう」。蒼は「青い」で、穹が「弓のかたち」。合わせれば、弓形の青い大空。広い青空の意だから、わざわざ蒼穹などと難しい漢語的表現をひねらなくてもいいような気がするが、青空では物足りない文脈があるのだろう(たとえば、浅田次郎の『蒼穹の昴』)。
蒼穹にはいくつかの類義語がある。
晴れた空の意である「青空」。空を天井に見立てた「青天井」。晴れわたる様子の「青天」、そこに雷が轟けば「青天の霹靂」。一片の雲もない様子で、特に青緑に見えるのが「碧空」。深い青色になると「蒼空」。遠い場所の空をイメージさせるのが「碧落」。どの語にも青くて、晴れていて、大きいという共通の意味があるが、ニュアンスの違いを執拗に求めていくと、類語表現が増えていく。
蒼穹は稀に「天球」という意味でも使われる。そして、どういう経緯か理由か知らないが、天球としての蒼穹(つまり地球)は、あのギリシア神話の神であるアトラスが支えていることになっている。この巨躯の神は地球を後頭部に置いて両腕で持ち上げている。
当然、アトラスは宇宙空間のどこかに立っているはずだ。どの彫刻や絵画でもアトラスは立つか膝を立てて脚で踏ん張っている。踏ん張るためにはどこかに乗っかる必要がある。「アトラスは何に乗っているのか?」と聞かれたら、亀の背中に乗っていると言う。では、その亀は何の上に乗っているのか? 別の亀の上だ。こうして、亀の下に亀、そのまた下に亀……という無限後退の図が描かれる。巨神のアトラスを乗せる亀もガメラ級の巨体のはずである。
蒼穹という表現と「そうきゅう」という発音がなぜ求められるのか。それは、青空のアトラスや地球のアトラスよりも、蒼穹のアトラスのほうが物語性に優れ、想像を刺激するからである。