フェイクニュースは駆け巡る

いきなりだが、以前書き記していた真実と虚偽にまつわる諺や格言を引用する(どこの国の諺か、誰が言った格言かわかっているが、ここでは省略する)。

🖋 嘘が嘘を生む。
🖋 上手に話すコツは嘘のつき方を知ることだ。
🖋 嘘は花を咲かせるが、実はつかない。
🖋 真実と薔薇の花には棘がある。
🖋 真実は真実らしく見えない時がある。
🖋 人間は真実に対しては氷、虚偽に対しては火である。

最後の諺の氷は「冷たい態度」の比喩であり、火は「心を躍らせて熱狂する様子」をイメージさせる。この諺を思い出したのは、『サピエンス全史』の著者、ユヴァル・ノア・ハラリの「なぜフェイクは広がるか?」というテーマの話をNHK/Web版で読んだ時だ。

「真実はしばしば苦痛を伴います。自分自身、あるいは自国について、知りたくないこともたくさんあります。それに対してフィクションは、好きなように心地よいものに作ることができます。つまり、コストがかかり、複雑で苦痛を伴う真実と、安上がりで単純で心地よいフィクションとの競争では、フィクションが勝つ傾向にあるのです」

本などめったに読めなかった時代、情報はのろまだった。しかし、15世紀の活版印刷の技術が情報を拡散させるようになる。とりわけ偽情報の足は速かった。このメディアと情報拡散の関係が、現在のSNSとフェイクニュースにぴったり当てはまる。事実を調べ上げて原稿を書き、本として発行して販売するにはコストと労力を要する。一方、ほとんどのSNSは無料で利用でき、真偽を曖昧にしたままでとりあえず発信できる。真実が真実らしく見えない時があるのと同程度に、フェイクがフェイクらしく見えない時があっても不思議ではない。

本ブログ記事では極力、固有名詞を書くようにしているし、抜き書きや引用に際しては出典を記すようにしている。冒頭で諺と名言の出典を敢えて書かなかったが、SNS時代では出典が記されていると面倒臭く感じる向きもあるようだ。ちなみに、冒頭の「上手に話すコツは嘘のつき方を知ることだ」というのは『痴愚神礼讃』のエラスムスのことば。論文であるまいし、誰が書いたかなどはどうでもいい、仮に知らせてもらってもエラスムスを知らなかったら、匿名と同じことだ……などと言う人もいるかもしれない。

しかし、いつの時代のどこの国の誰という情報を明示しなかったら、真実と照合する意味はなくなる。付帯情報のない引用文は、適当に脚色したりまったく一から創作したりするのと同じことになる。創作にはフィクションの要素があり、仮に悪意がなかったとしても、フェイクと批判されてもやむをえない。

SNSでは、公園の実名や鳥の固有名詞を書くよりも、匿名的に「とある公園で七色の怪鳥を目撃した」という真偽不明の一文が、真実にはないインパクトをもたらす。昨秋の米大統領選当時、「移民が猫を食べている」という動画はあっと言う間に2,700万回再生された。「移民がペットを飼っている」という平凡な情報に大衆は関心を示さないだろう。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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