あるカフェの印象

rosarian 2

コーヒーはおいしくて安いし、窯だしのパンもいい……店のしつらえは落ち着いたオーガニック系……自宅から徒歩数分と近いこともあり、足繁く通っている……と、ここまで褒めれば合格も合格、「たいへんよくできました」のスタンプが押せる。しかし、とても残念なのだけれど、「もうすこしがんばりましょう」と言わねばならない。

ここはカフェコーナーが併設された焼き立てベーカリー。かなりの繁盛店である。七、八人のスタッフが常時顔の見える所にいてきびきびと動く。パンの種類も多い。パンは時間差で焼き上がり窯から出される。そのたび、パンをトレイに盛る担当の女性が「ただいまチョコレートクロワッサン、焼き上がりましたぁ~」と店内に告げる。よく通る声で「いかがでしょうかぁ~」ととどめを刺す。この声に応じて他のスタッフ全員が「いかがでしょうかぁ~」と声をそろえる。

パンがのべつまくなしに焼かれるわけではないから、コーラスは5分か10分ごとである。しかし、この店では、コーヒー1杯の客にもパン一つの客にもこの調子、しかも店を後にする客に対しても同様に「ありがとうございますぅ~」。来店の際にも「いらっしゃいませぇ~」と礼を尽くすので、およそ30秒に一度のペースで店内に声が響き渡る。当然、本を読むぼくの耳をもつんざく。


座ってからの状態がこれである。ぼく自身はカウンターでコーヒーを注文しパンも一緒に買っているから、目と鼻の先の距離で「ごゆっくりどうぞぉ~」とすでに叫ばれ済み。そう言ってもらったにもかかわらず、ゆっくりとくつろげないのが情けない。おいしいコーヒーと焼き立てパンを賞味する気分に棘が刺さり、棘が刺さったまま本に向かうが、落ち着いて本を読ませてくれないのである。

大学生の頃に製麺所や鉄工所でアルバイトを経験した。みんな黙々と仕事をしていて発声らしきものはほとんどなかった。ただ単調な機械音が間断なく繰り返されるばかりだった。間が開かない機械音は意外にもノイズにはならず、ある種の環境音として場に同化する。物理的には聞こえているのだが、手先や目先の作業に集中しているからまったく気にならなくなるのである。

カフェにはしばしの静寂も生まれるので、耳が声を雑音としてキャッチしてしまう。このカフェのほとんどの客はおしゃべりもせずに、本や雑誌を読んだりスマホやPCでネットやメールを見たりしている。先日、珍しく閑散とした時間帯があった。スタッフの声が途切れ、2分、3分と時間が過ぎた。その時初めて、ぼくはその店にBGMが流れていることに気づいたのである。そうか、音楽がかかっていたのか……。「もうすこしがんばりましょう」とつぶやきながら、せめて「よくできました」になることを願いながら、ぼくは性懲りもなく通っている。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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