あるゲストが企業訪問に誘われた。「企業経営の現場をご覧になりませんか?」「会社とは無縁なんで、ぜひ見学してみたいです。」
案内人は会社の正面玄関から順番にガイドをしていった。「こちらが守衛室です。こちらは受付ですね。そちらに小さな作業場があります。この大きな部屋が事務室になっています。大半の従業員はここで仕事をしています。この廊下の奥に食堂とトイレがあります。では、2階にまいりましょう。こちらが会議室です。その隣りがトイレですね。はい、トイレは2階にもあります。右手が資料室です。そして、こちらが応接室。一日に数人の来客があります。最後に、ここが社長室です。あいにく社長は本日不在です」
足早に、それでも小一時間ほど説明を受けたゲストは、最後にこう尋ねた。
「よくわかりました。ところで、肝心要の『企業経営』はどこにあるのですか?」
この話はぼくの創作なのだが、種明かしをすれば、これは哲学的命題の一つの変化形なのである。ゲストが案内されたどの場所にもどの仕事にもどの従業員にも「企業経営」というものは見えない。企業経営は仕事の場所や作業や人材を束ねた概念でありながら、企業経営そのものがどこかに存在しているわけではない。ぼくたちは企業経営というものを見学することはできないのである。
企業と無縁なゲストが目の当たりにするのは、企業経営ではない。社是や理念や経営方針を文字として感知することはできても、それらの実体は容易に認識できない。ゲストは部屋を見る。廊下や壁を見る。整理整頓状況や清潔や汚れを見る。従業員の働きぶりや立ち居振る舞いを見る。けれども、企業経営を見ることはない。
誰も彼もが経営評論家であるわけではない。ソニーやサントリーの商品を広告で知り、売場で見て買う。企業経営をつぶさに調べて買うのではない。顧客から見えない概念構築にいくら躍起になっても、それは明示的世界には現れてこない。具体的な事柄を統合して上位の概念にまとめてみても、結局は個々の具体的な事柄がはじめにありきなのである。