〈シミュラークル(simulacre)〉は一応フランス語とされている。しかし、手元にある白水社の『ラルース仏和辞典』には載っていない。模倣、摸造、虚像のことだ。「コピー」と呼んでおく。
コピーは何かを真似たはずなので、「オリジナルなきコピー」はありえない。しかし、コピーのコピーのコピーのコピー……を繰り返しているうちに、元を辿れなくなるかもしれない。例の伝言ゲームの最終メッセンジャーの片言にオリジナルの微塵も残っていないのはよくあることだ。
美川憲一のマネをするコロッケ。そのコロッケのマネをする匿名x、そのxのマネをする匿名y……yがマネしているのはいったい誰か? 美川やコロッケでないような気がする。本物に似ているからコピーだとわかるのだ。コピーはリアリティに依存する。本物がさっぱりわからなければ、リアリティが失われ、コピーの価値は消滅する。
ぼくらが厚かましく知性と呼ぶ本質も、直接経験に根ざす類を除けば、シミュラークル知識群で構成されている。ぼくが知人から聞いた話をAに伝えたところ、後日AはBにあたかもオリジナルのように話した。別の機会にぼくがBに同じ話をしたら、Bが「Aのネタをパクリましたね」とぼくに言った。コピーは一方通行のみならず、可逆したり循環したりする。
もはやオリジナルと照合できないほど劣化したコピーのコピーのコピーに成り下がるよりは、限りなく本物に近いコピーでありたいと思う。産地直送のシミュラークルである。
〈着想〉と題した抽象画を描いたことがある。何かからインスピレーションを得たはずだが、その何かが写真だったか文章の一節だったか覚えていない。シミュラークルのようで、シミュラークルとも断定できず、宙ぶらりんが気持悪い。と言うわけで、画像処理をしてみた。ぼくが描いた作品のコピーが誕生した。ほっとしている。
Katsushi Okano
Concepimento di un’idea (着想)
2005
Color pencils, crayon, pastel (part of image digitally processed)