何事かを上手にやり遂げる技能や技術をスキルと呼ぶ。スキルは実践や練習の場で何度も繰り返して身につくものだ。先例や経験から学ぶと同時に、すでにスキルを習得した人たちから教わるということもある。不肖ながら、ぼくも企画やコミュニケーションなどの分野で助言側に立たせてもらっている。そういう立場にある者の良識として、最強スキルだの万能スキルだの必勝スキルだのという言い回しは控える。そんなものはめったに存在しないからである。
「めったに存在しない」とは、つまり、「たまに存在する」を意味する。自分と学習対象以外に対人関係のパラメーターが介在しない場合は、ある程度有効なスキルを身に付けることができる。たとえば、上手な本の読み方がその一つである。あるいは、情報を効率的に分類したりまとめたりする技術も該当するかもしれない。他人と競わない、あるいは他人との相対的関係が前提されない場合、努力次第で相応のスキルが習得できるのである。
対人関係があり、他人との優劣がついてしまうようなスキルがある。交渉や説得や議論に関わるスキルである。このようなスキルを求める人たちを一堂に集めて指南すれば、矛盾を抱え込むことになる。「聞き上手」や「傾聴」のスキルを学ぶ者は、まず相手の話を聞くことを教わる。聞くためには相手が話さねばならない。だから、A君もBさんも話そうとしない。こうなるとまずいから、相手に話させるために質問を投げ掛けることを教わる。すると、二人は同時に質問をすることになる。応用力あるスキルどころか、マニュアルを絵に描いたようなシーンが現れる。
要するに、同じ人から同じスキルを教われば、お互いの手の内がわかってしまうのだ。それでも、そこに優劣の差がつくのは、スキルによるものではなく、持ち合わせている臨機応変力であったり言語的な自力に違いがあるからである。交渉や説得や議論をA君だけにマンツーマンで教えて、Bさんやその他の人たちには教えない。こうして初めてA君がそのスキルで優位性を築けるのである。
同じ商圏の同業者を集めて、競争優位の戦略を指南するのも同じ結果を招く。どんなに平等に教えたとしても、ビジネスでは差がつく。まるでメビウスの輪のような不可解な帰結が待ち受ける。ぼくだけに有効だと思ったスキルなのに、きみにとっても有効なスキルだったとは……。もしかして、みんながハッピーになれるスキル? いや、そんなものはありそうにない。もしこのような対人関係の内に必勝法に近いスキルが編み出されたとしても、それはすぐに広まってしまう。広まればもはや独占的スキルとしての価値を失う。教える側も学ぶ側も目覚めないと、根なし草のような安直なスキルにしがみつき続けることになる。実際、そうなっている。
交渉などの実践的スキルでは、以上のような矛盾が生じる。ディベートのような教育的スキルでも対人関係が含まれるが、ディベートスキルには他者とは無関係に向上させることができるスキルが含まれる。エビデンスの集め方や読み解き方がそうであり、立論の組み立て方や反対尋問のマナーがそうである。誰にとっても有利なスキルは交渉には存在しないが、ディベートにはありうる。その理由は、法則性や約束事がディベートに多く、交渉に少ないからである。ルールのある学習対象は他人と関係なくスキルに習熟できる。対人関係的変数の少ない学びは席を同じくしてできるが、変数が多い学びはこっそり一人でおこなうものなのである。