車を運転したこともなければ所有したこともない。最近そんな若者がちらほらいるのを知っているが、昭和二十年代生まれの世代ではかなり珍しい。ぼくはタクシーをよく利用するし、知人の車に乗せてもらいもする。しかし、主たる移動手段は地下鉄とバスであり、近場であれば自前の脚で歩くか自転車で走る。
二十世紀は自動車の時代と言っても過言ではないだろう。車は生活モデルの基礎となって今日に到っている。利便性の高い車社会は、同時にスピード優先の習慣を、ひいてはファーストライフを人々に強いるようになった。産業革命前の人々はスローライフで生きていた。スローライフからファーストライフへの変化は、人類の歴史上もっとも落差の大きいパラダイムシフトであったことは間違いない。
ヨーロッパでも指折りの名立たる街なのに、車が一台も走らない街がある。潟に浮かぶ人工島、ヴェネツィアである。正しく言うと、浮かんでいるのではなく、海底に打ち込まれた無数の杭によって支えられている。車がないから、住民も観光客も歩く。広場を、運河沿いの道を、運河に架かる橋を歩くしかない。バリアフリーな橋は一基もない。この街は高齢者には決してやさしくないし、日常生活の移動も不便である。しかし、スローウォークを面倒がる人は一人もいない。観光客もその習慣に従う。
ヴェネツィアには二度訪れている。二度目の訪問は2006年10月。五日間滞在した。その時に買った麦わら帽子が納戸の最上段にある。あと何キログラムかの物体が上に置かれるとペシャンコになる寸前に救出した。この帽子、ゴンドラの漕ぎ手であるゴンドリエーレがかぶる本物を模したものだ。もとよりかぶるつもりで買ってなどいない。カーニバルの仮面よりも種類が少なく、選びやすかっただけの話である。
空と海が近接し(……)水の反射によって非常に明るく、色彩もきわめて鮮明に映る。(『ヴェネツィア 美の都の一千年』 宮下規久朗)
当時の写真を見れば、この描写の通りだ。ヴェネツィアを端的に言い表わす表現に「ラ・セレニッシマ」がある。「この上なく澄み切った、晴れわたった」というような最上級表現。晴朗きわまる空と海の風土という意味と、この世で一番静穏な国という意味を兼ね備えている。
車がないから歩く。大運河に囲まれ、無数の小運河が網の目のように走っているから、歩くだけでは遠くに行けない。だから水上タクシーが存在する。イタリア屈指の観光地であるから、年中観光客で溢れる。ここにゴンドリエーレの存在理由がある。ゴンドラは生活上の移動手段ではなく、観光客向けの遊覧ボートである。
車がなければ生きていけない街があり、車がなくてもどうにかこうにか生きていける街がある。ぼくの住んできた街はどこも構造的には車社会なのだが、車に依存することなく何とかやってきた。便利に暮らすことと幸せに暮らすことが同期することもあれば、まったく同期しないこともある。車のない街は、「もし何々がなければ、どう生きるだろうか」を考えるきっかけを与えてくれる。