2013年に1,000万人の大台に達し、2016年の今年は10月末現在ですでに2,000万人を超えた。2020年には4,000万人、2030年には6,000万人という推定。わが国に訪れる観光客数である。現在、年間8,000万人超を集める観光大国フランスの足元にはまったく及ばない。しかし、数年前まで毎年800万人が精一杯だったことを思うと、伸び率は凄まじい。
訪れたい観光スポットあっての街の人気である。たとえばパリにはエッフェル塔があり、ノートルダム寺院があり、セーヌ河があり、ルーブル博物館がある。他にも数え切れない名所がある。そういう名所を目当てに人々が集まる。しかし、やがて、観光スポットを巡らなくてもいい、ただそこに佇み街歩きして魅力を満喫できればいいと思う観光客が増えてくる。その時初めて、個々の観光スポットを超越した街のブランドが確かになる。あれこれを見たいという願いが街に行きたいという思いに変わる。
成熟した観光都市のステージとわが国の諸都市のステージは大いに違う。わが国ではスポットで集客している。京都なら伏見稲荷神社、金閣寺、清水寺。広島なら平和記念資料館と宮島。奈良は東大寺と奈良公園である。街のブランドと言うよりは観光地ブランドの知名度が先行している。それでも、これらの観光地は創世期の面影を残していて歴史を感じさせる。対して、ぼくの住む大阪の人気上位はユニバーサルスタジオ、梅田スカイビル、海遊館の3ヵ所である。大阪城の4位を凌いでいる。明らかに現代のテーマパーク的なスポットに人が集まっていて、歴史の街としての人気とは言い難い。
見どころ多彩なだけで知名度が上がるわけでもない。世界には「単機能」だけで固有のブランドを築いている街がある。イタリアはマルケ州のカステルフィダルドはその典型。アドリア海に面した人口2万人足らずの小都市だ。この街について世界的な日本人アコーディオン奏者のcobaが語っている。「イタリアで最初にアコーディオンを作り始めた街。小さな街なんですが、世界中のアコーディオンの8割を生産しているんですよ」。カステルフィダルドと言えばアコーディオン、アコーディオンと言えばカステルフィダルドというわけだ。名産から街を、街から名産を言い当ててもらえれば、一流の街ブランドの証である。
『世界ふれあい街歩き』で紹介されたドイツのリューネブルクなどは、絵筆を取って絵を描いてみたくなる街だという。観光客がどれほど押し寄せるのか知らないが、「絵を描いてみたくなる」とは街の魅力を伝える決めぜりふではないか。一言の表現しかできないのではなく、その一言に固有の価値が凝縮されている。単機能しか持ち合わせない街は特徴的であり、かつ潔い。そんな街を訪れた後は、何でも便利で多機能だが、マルチやメガという形容しかできない大都市がつまらなく思えてくる。
至宝が溢れるアートの街と自他ともに認めるのがフィレンツェ。以前このブログで書いたことがある。
ルネサンスの余燼が未だ冷めやらぬ街。いや、余燼というのは正しくない。15、6世紀のルネサンス時代のキャンバスをそのままにして、その上に現在が抑制気味に身を寄せているのがフィレンツェだ。美術品は美術館内だけに収まらない。建造物、彫刻、石畳、昔ながらの工房や修復アトリエが中世をそのまま伝えている。
歴史的遺産の原型を残さない街は、早晩飽きられるだろう。なぜなら、現代でいいのならどこにでもあるからだ。わが街にないものがあるから観光地に出掛け、わが街とは違うから遠くの街に赴くのである。
2007年3月にフィレンツェに一週間滞在し、シニョリーア広場に面したホテルに4泊した。数世紀前の建物をリフォームした古色蒼然としたホテルだ。ラウンジの窓から毎日広場を眺め、ルネサンス時代を気ままに回想していた。
ルネサンス時代という表現が誇張でない証拠がある。ぼくが実写した一枚にはシニョリーア広場、その右端に市庁舎(かつてのヴェッキオ宮殿)、市庁舎前にミケランジェロが制作したダビデ像のレプリカが写っている。この写真に16世紀か17世紀頃に描かれた広場の風景画を対比させてみる。前景は変わっていても、キャンバスである後景がほとんど同じであることに驚嘆する。未来を見据えて何を変え何を変えないかを考え抜いてきた、もう一つの歴史。風景としての街づくりには時間と忍耐とプライドが欠かせないのである。