断り書き

オフィスの隣りは市立高校。その道路向かいに運動場がある。運動場は壁で囲まれていて、壁に沿って花壇が設けられている。その花壇に最近樹木の苗木がかなりの本数植えられた。苗木は愛らしくていいのだが、残念なことに標識も一緒に埋め込まれている。「ポイ捨て禁止」「駐輪禁止」……。標識ばかりが目立って花壇の見栄えが悪い。自動販売機と並んで、言わずもがなの標識は景観価値を低める要因である。

以前、『陳腐なことば』と題して、ありきたりのスローガンや公共の場での注意書きを批判したことがある。今時のスローガンには無難な「ふれあい」が目白押し。「ふれあい天然温泉」に「ふれあい広場」。「ふれあいトイレ」なるものも出現するに及び、いったい何を奨励しているのかさっぱり理解できなくなった。美しく整備された芝生なのに、まるでその美観を台無しにするような「芝生に入るな!」の立て札もよく見かける。

商品パッケージや説明書には、使用方法や効能書きよりも、注意書きや禁止事項のほうにより多くのスペースが割かれている。エネルギーや関心が注意書きに向いているのだ。売り物への自負や情熱が足りないわけではないだろうが、傍目にはコンプライアンス意識過剰の裏事情が見え隠れする。十年程前の食品偽装事件以来、また、クレイマーの存在がとやかく言われ出した頃から、あらかじめ注意を促したり断りを入れたりする傾向が強くなったような気がする。


「容器の底に一部成分が沈殿する場合がありますが、味や品質にはまったく問題がありません」などという説明に苦し紛れを感じる。しかし、添加物や不純物でないのなら、つまり成分自体が天然素材で、それゆえに沈殿という現象が生じるのなら、いちいち但し書きをしなくてもいいではないか。この方面の表示ルールに疎いのでそんなものいらないと胸を張って言えないが、一消費者としてはわざわざ弁解してもらわなくてもいい。

これはSchweppes(シュウェップス)のずいぶん前の広告である。写っている人物は同社のCEO。十数年にわたって広告で起用された。見出しは三行で次のように書いてある。

“You can see the lemon in Schweppes Bitter Lemon. That’s because Schweppes uses whole, fresh lemons. Juice, pulp, peel, everything.”
(シュウェップスのビターレモンにはレモンが見えます。丸ごと新鮮なレモンを使っているから。果汁、果肉、皮、すべて。)

この広告を見て感心した。果汁も果肉も皮も一部は液体から分離して沈殿物になる。瓶を逆さまにしてその沈殿物がさまようのを見つめている。沈殿物があるという断り書きの代わりに、丸ごとの新鮮レモンを訴求している。本文文末に小さな文字で断り書きを入れるのは野暮だ。堂々と見出しにしてしまうことに共感する。

人のおこない、人が作るものには元々ファジーな要素がある。それを杓子定規に法で縛ることに無理がある。悪意も偽装もなく、善良な精神で品質を作り込んで形にしていることを断り書きにすることはない。コンプライアンスに怯えて断り書きを掲げ、断り書きさえしておけばそれで済むと考えることが信頼性の証明ではないだろう。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です