働く日々と時間

サラリーマンではなく、また「定形の仕事」があるわけでもない。考えることが仕事に不可欠なので、公私・オンオフを問わず、何をしていても考えるのが習慣になっている。この意味では年中無休である。しかし、会社を運営していれば労働基準を遵守すべく休日を設けるのは当然。心身が休まるかどうかは別にして、正規の休日がぼくにも与えられている。

労働日と休日がどのくらいあるのか比較してみた。年間で仕事をするのは235日、休んでもいいのが130日。昨年の12月と今年の1月の2ヵ月だけに限ると、労働日37日に対して休日が25日である。なんと休日率は40パーセントに達する。三日働いて二日休む計算だ。最近では一日8時間以上働くことはめったにないから、高度成長時代の猛烈な働きぶりとは隔世の感がある。

サラリーマンをしていた1987年までは週に二日休んだ記憶がない。一日の労働時間規定はあったが、めったにその通りに働いて済むことはなく、時間を刻む針は無いに等しかった。複数の職場を転々とした。勤め先はすべて中小・中堅、どこも同じ状態だった。とは言え、大企業や行政の仕事に携わっていたので、一般的な労働事情はよく承知していた。

組織の規模とは無関係に、わが国の人々が働く環境には多分に共通項がある。業績至上主義を目指せば勢い長時間労働を強いられる。上司や同僚と異なる労働観では生きづらく、仮に無理強いがないとしても、はなから定時退社は諦めている。長時間労働やハードワークが忠誠と昇進の踏み絵とされる会社は少なくなかった。

創業した1987年から90年代中頃までは日曜日に出社するのも珍しくなかった。年がら年中仕事の日々という趣であった。最近までそんな会社や店はいくらでもあったし、今もある。行きつけの中華料理店は数年前まで年中無休だった。しかし、オフィス街で商売をしていても土曜日は平日に比べて客数が激減する。日曜日にはオフィス街の外れに住む家族連れがちらほらある程度。と言うわけで、その中華料理店は日曜日は休業とし、土曜日も夜の予約が入らなければランチ営業だけして午後は店を閉めるようになった。


業績が上がることと仕事の質が上がることは別である。また、仕事量を減らしたからと言って精神衛生上プラスになるわけでもない。仕事量を維持もしくは増やしながら労働時間を短縮するためには、仕事の技術と質を高めスピードアップを図らなければならない。労働時間的なハードワークを改めるには質的なハードワークが大前提になるのである。

心理的負担の大きい、無意味な長時間労働が望ましいはずもない。しかし、そういう働き方をハードワークなどと呼ぶことが古典的なのだ。真の意味でのハードワークとはよい仕事に向けられるものである。労働時間の長さを云々する前に、心配しなければならないことは誰がやっても同じ仕事をしていることではないか。労働時間が短縮されても、仕事における人間の個性が消失してしまったらロボットと同じである。いや、人間は疲れてもロボットは疲れを知らないから、人間のほうが分が悪い。

以前、デヴィッド・オグルビーから次の一文を引用したことがある。

I believe in the Scottish proverb: “Hard work never killed a man.” Men die of boredom, psychological conflict and disease. They do not die of hard work.
(「ハードワークで人が死んだ試しはない」 というスコットランドの諺は正しいと思う。人は退屈と心理的葛藤と病気が原因で死ぬ。ハードワークで人は死なないのだ。)

ハードワークは長時間労働を意味しない。働く時間を減らしても、退屈し葛藤し病めば健康を害するのだ。そろそろハードワークの誤解を解くべきだ。誰かに強制されてがむしゃらに働けば労働時間は増える。しかし、これをハードワークとは言わない。過労・疲弊ばかりで「やりがい」のない仕事ぶりはハードワークとは別物なのである。やりがいのある仕事に人は無我夢中になり、経験を積んで技能を洗練させる。仕事に「忘我的に入っている状態」がハードワークであり、よい仕事をしている証なのである。「入っている状態」とは分別的でないこと、あるいは相反する二つの概念――たとえば仕事量と時間――を超越している状態だ。

ハードワーク無くしてスローライフ無し、である。代わりのきく、誰がやっても同じ程度の仕事をこなし、働く時間だけを短くするのは都合がよすぎる。そんなおいしい仕事はないし、あってはならない。一億総活躍社会の手始めに一億総プレミアムフライデーとは、お楽しみにもほどがある。日本政府及び大企業の発想はいつもこんな具合だ。毎月の最終週の金曜日に定時退社時刻を2時間かそこら早めても問題は解決などしない。毎日をプレミアムデーに変えてしまうような仕事人のハードワークを見つめ直すのが先決である。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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