〈衣食住〉雑考

衣食住によって人の暮らし向きを窺うのが世の常である。老いも若きも、男も女も、居を構えて卓につく。その時、おそらく衣服を纏っている。衣、食、住と並ぶ順に重要度が高いわけではない。多分に語呂の良さを考慮してのことだろう。文明的生活にはどれも欠かせないが、重要度と言うなら食が一番である。富める者もそうでない者も、まずは食わねばならない。

衣食住が生活の基本の基本であることは自明だ。ところが、「衣食足りて礼節を知る」という慣用句では住が欠落している。住居で裸で暮らすライフスタイルがないことはないが、肌に密着した衣があれば住み家がなくても何とかなる。実際、都会ではそうした生き方の路上生活者を見掛ける。西洋に「鳥かごはどんなに立派でも餌の代わりにはならない」という諺がある。住に対する食の優位性を謳っている。「衣服が人をつくる」というのもある。これに倣えば「食が人を生かす」ことは間違いない。


ところが、自然界の生きものたちは巣を作っても衣を求めない。この点においてヒトは彼らと同類ではない。ヒトが生きる上では衣食は絶対的な必要条件でり、衣食足りてこその住み家なのである。さて、衣食住の三点セットが整ったとしよう。それでも、幸福は担保されない。生命的に生き長らえることを幸せな暮らしへと止揚するには、さらにその他諸々の十分条件が揃わねばならない。

ヒト以外の生きものの生存を支えるのは「性食住」である。生きものは生きるために営み餌を探す。縄張り争いに勝ち抜けばテリトリー内に巣を作る。生殖、捕食、繁殖の流れはきわめて合理的に見える。生きものによっては移動しながら行く先々でこの合理的行動を繰り返す。衣服を鞄に詰めて旅する渡り鳥はこれまでのところ一羽も発見されていない。

対して、ヒトが暮らす様相はもっと複雑である。衣の他に「医」が欠かせないし、生にも「意」を求める。食に加えて「職」が必要だし、「色」のある装いを欲しがる。さらには、住のみならず、時には「銃」を携え、飽くことなく「充」の状態を目指す。こんなふうに、あれもこれもと条件を満たしたとしても、幸福という境地に到れる保証はない。衣食住その他諸々足りてなお、怒り哀しむの理から抜け出せないのである。衣食住にあと一つだけ足して「衣食住□」とするなら、その「□」にどんな一文字を入れるかによって人生哲学が浮かび上がる。人間関係とコミュニケーションを重視するぼくは今後も「衣食住」で生きたいと思っているが、「衣食住」も捨てがたい。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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