おもてなし考

「お・も・て・な・し」は2013年度の流行語大賞であった。以前から使われていた普通のことばが大賞に選ばれて、特別な意味が付加された。意識せずともできていたことが、わざわざ意識しなければならなくなったのである。ことばや道具や行為は、習慣的に用いていれば板に付いてくる。敢えて意識する必要はないから、不自然さを感じない。しかし、あらためてクローズアップされた瞬間、そこにこれまでと違った意味が備わってしまう。

当世、「飲み放題付きコース5,000円」を謳う食事処はどこにでもある。通勤途上のある店は、大衆居酒屋よりもほんの少しグレードを上げたようなコンセプトで営業している。飲み放題の種類はおよそ70種類用意されているが、制限時間は長めの2時間半。「元を取っていただくという考えではなく、ゆっくりとくつろいで飲んでいただきたいから」とメニューに書き添えてある。ゆっくりくつろいで飲むとくれば、料理への期待も高まる。

さて、そのメニューである。いろいろな一品料理、コース料理、ドリンクの種類よりも先に、つまりメニューの最上段に、飲み放題にまつわる五カ条の注意書きが記されている。

一、グラスは交換制。
二、一気飲み禁止。
三、泥酔客への提供お断り。
四、テーブルを汚すと即退席。
五、場合によってはクリーニング費用請求。

メニューの一番目立つ箇所に、よくも思い切った文面を置くものだと呆れたが、よほどたちの悪い客で迷惑した経験があるようだ。グラス交換の件、了解である。客のマナーとして当然だ。しかし、あとの四カ条はどうか。客の全員を性悪説的に見なしている。良識ある客にとっては、言わずもがなの心得ばかりである。一気飲みしないし泥酔しない、きれいに飲食するマナーを心掛けて飲食する者にとっては、こんなメッセージを目にしてから料理を注文する気にはなれない。飲食メニューの前にクリーニング代の弁償などと恫喝するのはどういうつもりなのか。


テーブルに備えてあるメニューと同じものが店の前に掲げられている。実は、ここに入店したことはないのだが、そのメニューの威嚇的な禁止事項のせいである。メニューの下段には店の方針が書かれている。「あくまでも仕事帰りの軽い飲み」がコンセプトだと言う。先の「ゆっくりとくつろぐ」を併せてみれば、飲み放題と相反していることに気づく。飲み放題などという仕組みは、そもそもおもてなしなどとは縁遠いのである。

極めつけは「美味しくて手間の掛からない料理」という一文。手間が掛からないというのは客目線ではなく、店の自己都合である。もちろん、手間を掛けずにうまいものは調理できる。有名ミシュラン料理店のシェフがそういうお手軽レシピをテレビで紹介することもある。しかし、それはあくまでも家庭向けであって、実際の客に向かって堂々と「手間の掛からない料理」と宣言するのとはわけが違う。美味しいは当然として、なぜわざわざ手間の掛からないことに胸を張っているのか、まったく解せないのである。

手間を掛けないのなら、ぼくなどはわざわざ店に来ない。自宅でささっと作れるのと同じ料理に、その何倍もの金額を払う気にはならない。缶詰を開けてつまんでいればいいのだから(最近の缶詰は三百円も出せば、かなり美味しくいただける)。

言うは易し行うは難しがおもてなしである。なぜ人は、自宅ではなく、外で料理をつまみ酒を飲むのか。いろんな事情があるだろうが、値段や味とは関係なく、何がしかのおもてなしに期待するからだ。すなわち、自宅での調理者兼実食者ではなく、客としてひと時を過ごすためなのである。当然、料理人の手間にも期待している。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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