当社は本年十二月に創業三十周年を迎える(予定)。
縁と機会に恵まれて今ここに至れたのは感慨深い。他人様から期待されるものがあり、その期待に応える相応の努力を重ねる日々であったと振り返る。
企画と言えば、表現や編集など、どちらかと言えば、手の技が主役だと思われがちだが、わたしたちの使命は考え伝えることであり、新しい発想からの切り口を提供することに尽きる。
その一端を示す仕事の習慣と方法を『いろはカルタ発想辞典』として編集し昨年の年賀状で紹介したところ、一部の読者から反響があり、「ぜひ続編を」という励ましをいただいた。
今年は「いろは」に替えて「一二三」と数にちなむ諺や故事成語などの用語を発展的に解釈してみた。発想上の戒めやヒントを導こうと試みた次第である。
一言以て之を蔽う
〔いちげんもってこれをおおう〕
様々な物事が集まって全体が意味を持つ。言いたいことは山ほどあるのに、本質をわずか一言で表わすには勇気がいる。しかし、多種情報の一元化にコンセプトの一言化は欠かせないのである。
二兎を追う者は
〔にとをおうものは〕 「一兎をも得ず」と続く。同時に二つの物事を狙うと一つの目的さえ叶えられないという戒め。足の速い兎を欲張って二羽追い掛けるから失敗の憂き目に遭う。逃げも隠れもしない二つの関心事なら両得はありうる。二足のわらじも恐れずに履いてみるべきだろう。
読書三到
〔どくしょさんとう〕 本を読む時に心得るべき三か条。声に出して読む口到(こうとう)、すなわち音読。目を見開く「眼到(がんとう)」。心を集中する「心到(しんとう)」。文のリズムを体得し視野角を広げて心を集中する。三到は三昧の境地に通じる。
四面楚歌
〔しめんそか〕 回りが意見の違う者ばかりということはよくある。だからと言って、孤立無援だなどと落胆するには及ばない。逆縁は転じて順縁になるのが常。楚の国の項羽も、自分を取り囲む漢の軍から楚の歌が聞えてきたことにひとまず安堵するべきであった。そこから先を読むから被害妄想に陥ったのである。
五里霧中
〔ごりむちゅう〕 深い霧の中ではつい方角を見失ってしまう。しかし、霧もなく見晴らしがよくても、何が何だか分からないのが今置かれている状況である。先もよく見えない。これが考えるというプロセスにほかならない。そもそも思考はカオスである。混沌ゆえにダイナミズムが生まれるのだ。
双六
〔すごろく〕 思い通りに事が運ばない双六は仕事の比喩である。紀元前ローマの詩人テレンティウスは言った。「人生は双六遊びのようだ。願う目が出ない。だが、偶然出た目を己の力によって生かせばいいのだ」。偶然をチャンスと見れば、「偶察」して望外の功を得るかもしれない。遊びの精神はセレンディピティを育む。
無くて七癖
〔なくてななくせ〕 癖がきっかり七つあるという意味ではない。別に一つでもいい。癖というものは芯まで染みついているから、改めるのが難しい。しかし、すべての癖が悪癖とは限らない。経験を積んだ技能も癖と言えば癖なのだ。ことばで説明できないすぐれた癖、それを「暗黙知」と呼ぶ。
腹八分
〔はらはちぶ〕 少し控えめに食べれば医者いらずなのだが、この八分の見極めが悩ましい。今は七分なのか、それともすでに九分過ぎなのか、的確に判断しづらい。ところで、脳の空きスペースは無尽蔵であるから「満脳」になることはない。くだらない情報以外の知はいくら貪っても問題ない。
九回裏
〔きゅうかいうら〕 勝負決したと思われる九回裏ツーアウト、走者なし。スコアは3対0。ここからヒットと四球でつながって満塁。打席には四番バッターが立つ。アナウンサーは十中八九こう言う、「さあ、わからなくなりました」。九回裏とは後がない終盤だが、諦めるなという場面でもある。
十で神童
〔とおでしんどう〕 二十歳過ぎて只の人になるための過程。晴れの成人の日に凡人になることを誰も望まないから、十で神童や十五で才子になってたまるかと抗う。わが国で十代の天才が生まれにくいのはこのせいである。
十二進法
〔じゅうにしんほう〕 十二よりも十のほうが「ちょうどいい感がある」などと考えてはいけない。十二は古来生活上の重要な分節単位であった。時計も一年も十二を基数としている。両手の指が十本だから、数える時に二つ余ってしっくりこないが、今さら一日を二十時間、一年を十か月に変更できない。一ダースの卵も二個減ることになってしまう。
十五 十六 十七
〔じゅうご じゅうろく じゅうしち〕 ♪ 十五、十六、十七と私の人生暗かった……。大いに遊んだり将来のことを考えたりする最良の高校時代に受験勉強を強いられれば、人生は暗くもなるだろう。夢は夜ひらくなどと若くして退廃してはいけない。
十八番
〔じゅうはちばん(おはこ)〕 昨年、十八歳に選挙権が与えられた。本来この歳あたりで得意な技芸の一つも身につけておくべきだが、二十歳過ぎて何をしたいのかも分からず、勤め先だけを決めたがる若者ばかり。中高年にもいる。「十八番は?」と聞かれてカラオケしか思い浮かばないとは実にお寒い話ではないか。
【あとがき】 十八番をトリとした。十一、十三、十四を欠番にしたことに他意はなく、単にスペース不足のため。欠番があることへの批判はお控え願いたい。