4月末から1日も休まずに6月を迎えた。一ヵ月以上休まなかったのは十数年ぶりかもしれない。心身の疲れに悩まされてはいないが、曜日感覚の喪失に少し戸惑っている。今日が金曜日であることはついさっき認識したばかりである。
ある刺激を与えて直接的な効果を得るという一ヵ月ではなく、辛抱強く結果を待つ迂回的な日々だった。格好をつけるわけではないが、久しぶりに一手先ではなく数手先ばかり見ていた。実際、一手先を実行するほうがうまく行ったはずのケースも多々あったが、遠回りなやり方にはそれなりの妙味もあって見直すところがあった。
リフォームしたオフィスに合いそうな成木を探していたが、その発想をやめて遠回りすることにした。オフィスなのにゴーヤの苗木を三鉢買ってきたのだ。ぼくの机は南の窓のそばにある。明るくていいが、これからの季節は陽射しが強い。ロールカーテンで遮光しても大した効果がない。7月、8月に向けてゴーヤに期待することにした。遠回りである。しかし、遠回りには近道にない愉しみがありそうだ。
この一ヵ月、今日やっておくほうがいい仕事を明日に任せ、特に急ぎでない構想を優先させたりした。こんなちょっとしたことでコペルニクス的転回が起こるはずはないが、日々の自分を見つめ直すきっかけになったような気がする。
仕事に直接役立つ知と技だけを学んでいては行き詰まる。たしかに人は仕事に生きる。しかし、仕事のみに生きているのではない。生を豊かにするには仕事の充実は不可欠だが、それだけでは不十分である。明日役立つことを今日仕入れないという少々遠回りな生き方は言うほど簡単ではない。何よりも勇気がいる。来週からは再び軌道修正することになるだろうが、この一ヵ月の遠回りな時間と経験は貴重であった。