力(りき)む観光施策

街歩きは日課みたいなもので、人並み以上によく歩く。週末にはメトロで45駅の距離を往復する。居住地とその周辺は人口密度の高いエリアなので、大通りから裏通りまで四方八方道が走っている。つまり、目指す地点まで選べるルートは何十も何百もあるということだ。

どこを目指すにしても、気分転換のつもりで道順を変える。数ヵ月通らないと周辺の光景が変わり、見覚えのない街並みが出現していたりする。歩いていると前を行く人、後ろから来る人から聞こえてくるのは中国語や韓国語ばかり。その他のアジア人もよく見かけるし、カフェのテラスには西洋人がふつうに座っていたりする。

一目ホテルだと分かる建物もあれば、和風に設えた観光客向けのホステルがあったりする。

どんなふうに光景や街並みが変わっているか。新築マンションも建つが、何よりも目立つのが観光客をターゲットにした新しいホテルやホステル、民泊の類である。ワンブロックごとにホテルが一棟建っていることもある。増えたなあと言う印象では済まない。もはや乱立状態なのだ。宿泊施設に伴って近くの飲食店や販売店も装いを新たにする。店頭や店内の表示に日本語がほとんどないドラッグストアも珍しくない。何かもが観光客スペック。しかもオーバースペック。生活者仕様の場所を探すほうが難しい。


京都の知人が自民党総裁選の街頭演説に出くわしたという。安部首相は「訪日外国人観光客は就任当時800万人だったが、昨年は2800万人に増えた。観光を京都の成長の起爆剤にしていこうではありませんか」と訴えていたらしい。数値で観光の活性度を示そうとする発想がそもそも古い。

対して、石破氏の主張は「外国人観光客が京都府域で落とすお金の95%が京都市。舞鶴、宮津、伊根など、いろんな魅力がある。それをどうやって伸ばしていくかだ」というもの。観光の一極集中を嘆いているわけだが、これも多寡の話。地味かもしれないが、小都市の地道な質的取り組みの現状に気づいているのだろうか。

国家の唱える観光施策がりきんでいるように見える。観光を”ハレ”の現象として捉えている間はまだまだ本物の観光立国への道遠しと言わざるをえない。観光老舗の京都などは国家の認識よりもよく観光の何たるかを心得ている。これはパリやバルセロナやフィレンツェなどにも言えること。生活者の”ケ”としての街あってこその観光である。ケの母屋がハレに軒を貸しているという構造なのだ。

観光客のための街の整備や建築ラッシュなど目先を追っていると、やがては観光価値を失うことになる。よそ者がよそ者ではなく、滞在中に生活者と同じような視点で街を見ることができてはじめて、真の観光都市に値する。わが国家の感覚は未だに観光後進国的と言わざるをえない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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