ルネサンスの草分けとなったイタリアではルネサンスと言わない。「リナシメント(Rinascimento)」と呼ぶ。ルネサンスという響きに慣れ親しむと、リナシメントには違和感を覚える。諸説あるが、イタリア・ルネサンスが栄えたのは15世紀初頭から16世紀半ばである。
過去に類を見ない知が炸裂した時代だが、ルネサンス期の人々は歴史に詳しかったわけではない。たとえばポンペイがヴェスヴィオ火山の大噴火によって滅んだのは紀元79年だが、ルネサンス人はこのことを知らなかった。
ポンペイに遺跡らしいものがあるとわかったのは16世紀の終わり、発掘が始まって遺跡の全貌がおおよそ明らかになったのがようやく18世紀半ば。レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍した1500年前後から250年も後のことである。
無知だったのはポンペイの遺跡だけではない。ルネサンスに先立つ中世のイタリア人は、祖先が築いたローマ文明についてもさほど知らなかった。古色蒼然とした遺跡を日々あちこちに見ながらも、彼らの知識は現在のぼくたちの足元にも及ばなかった。
ところで、古代ローマはギリシア文明の影響を大きく受けている。ざくっと言うと、紀元前にはイタリアはギリシアの植民地のような存在だったのだ。
実は、ギリシア文明らしきものが存在したとわかったのは、1096年から200年間続いた十字軍の聖地エルサレムの奪還戦争中だ。ギリシアの英知はまずアラビア人に伝えられた。イタリアでギリシア文明が知られたのはアラビア語文献を通じてなのである。
ギリシアのヒューマニズムに触れたのがルネサンスのきっかけになった。決して古代ローマの知と直結していたわけではない。当時の神を絶対信仰するという軸が、ルネサンスという人間復興の軸に置き換わった。ルネサンスにはギリシアから受けたインスピレーションが基底にあり、それが人間と芸術の復興劇をもたらしたのである。