「ちゃんとできそうかね?」
「ええ、大丈夫です」
「オーケー、頼んだよ」
上司と部下のこの短いやりとりの内にリテラシーとコミュニケーションに対する甘さが凝縮している。
読み書きと言えば済むのだろうが、ここは敢えてリテラシーだ。読む・書く・聴く・話すという言語の技能は周知の通り。しかし、狭義のリテラシーは主として読み書きに絞られる。本や資料に書かれた内容を読み解き、重要なポイントを抽出し、書く行為によって活用するスキルである。広義では、言語と知識・情報の運用能力全般を含む。古くは、読み書きに算盤が付随した。今では、その役割をコンピュータやその他のIT機器が担っている。
聴き話すについてはどう考えればよいか。これら日常おこなっている言語スキルの実践によって音声面の瞬発力は発揮される。残念なことに音声は消えるから、思考力とコミュニケーション効果には多くを望めない。日常会話レベルの聴く・話す行為はその場限りで終わり、リテラシーの高みに到らない可能性がある。
会話を主題の明確な対話へとシフトすれば、リテラシーはある程度強化できる。しかし、論理や表現技術を内蔵させるには読み書きが欠かせないのである。現在の自分のリテラシー能力の振幅を一回りも二回りも広げようとするなら、じっくりと読書とノートに取り組まねばならない。これは職業的文筆業に限った話ではない。
習い事の初段から四段への昇段のきつさは、4級から1級への昇級の比ではない。能力が成熟するにつれてレベルアップが難しくなるのは必然。歳相応の思考力とコミュニケーションを一体化させるには、さらに難解な本を背伸びしながら精読し、精度の高い文章を書いてみる必要がある。大事なことは、負荷のかかる読み書きを習慣化すること。負荷をかけないかぎりステージは上がらない。
読むことと書くことの関係について最後に触れておきたい。どんなに読みこなせるようになっても、思うように書けるようにはなれないものだ。しかし、思うように書けるようになれば、確実に読解力も高まってくる。「書くは読むなり」だ。思考力、論理力、説明力、表現力の核は書くことに尽きる。書くことを主として読むことを従とするのがリテラシーの王道なのである。