『新明解』ではオタクを次のように定義している。
「趣味などに病的に凝って、ひとり楽しんでいる若者」
「病的に凝って」とはずいぶん思い切ったものだ。それに、必ずしも「ひとり楽しむ」わけでもないだろうし、「若者」だけに限定もしづらい。ちなみに、ぼくの知るオタクには、趣味が深掘りされるのとは対照的に、それ以外の物事の知識の薄さが目立つ。
なお、同じ辞書によると、固有名詞は「そのものを、比較的狭い社会(領域・範囲)に在る他の同類と区別する必要が有る場合に、そのものにつける名前」とある。つまり、居酒屋で二人の熟年が飲んでいるが、一方を他方から区別する時に、ハイボールを飲んでいるのは松田洋介ではなく吉岡辰夫であると姓名を告げる。その時のシルシが固有名詞というわけだ。その対義語は普通名詞。
オタクと固有名詞にどんな関係があるのか。オタクはおおむね普通名詞で趣味について語り合うことはない。彼らの会話では固有名詞が縦横無尽に飛び交う。人名であれ地名であれ書名であれ、実名がポンポン出てくる。長いカタカナの名称でも滑舌よろしく言ってのける。オタクとは「固有名詞を頻繁かつ精細に語れる人々」なのである。自分が嵌まっている趣味に関わる名詞を「あれ、それ、これ」などと言わないし、「あのう……」などと口ごもりもしない。
関東に出張した際のこと。朝食のビュッフェ会場で席についた。隣りのテーブルには二十代後半らしき男性二人が座っていた。ぼくが座ってからずっと――そしておそらく座るだいぶ前から――彼らはサッカー談義にのめり込んでいた。話の中身は欧州サッカー。しかし、クロアチア以北・以東の東欧のサッカーという、すこぶるニッチな話なのである。談義と書いたが、話しているのは一方で、相方はうなずいて時々口をはさむ程度だ。
機関銃トークの男性は何十人もの選手の名前をフルネームで語り、合間に移籍金の金額やチームの名前を口にする。代表チームではなく、クラブチームの名である。選手の名前を語る口調はまるで古舘伊知郎、その高速再生ぶりに驚嘆した。これぞオタクの真骨頂。何とかビッチ、何とかスキー、何とかロフ……。滞ることなく固有名詞が連射される会話は、興味があってわかる相手にはたまらないだろう。相方の男の反応を見ていれば、この彼も評論こそしなかったが、かなりのレベルの聞き手に違いない。
欧州の地名や歴史上の人物や料理の名称をぼくが固有名詞で語ったり書いたりすれば、親しいM氏は驚かれる。「カタカナが苦手でとても覚えられない」とおっしゃる。ブラジルサッカーに詳しいそのМ氏と会食した時にたまたまサッカー談義になったことがある。日本代表の話にはほとんど反応しなかったМ氏が、ブラジルサッカーになると、固有名詞が出るわ出るわ。あのビュッフェの男性にひけをとらなかった。オタクの固有名詞の記憶再生力は侮れない。